超・原始人
超・原始人

勉強を詰め込む前に、よく寝てよく食べる立派な原始人としての土台を作ることを根底に据えたお話です。娘の教育に熱が入るあまり空回りする主人公・タクミ(39歳)と、10歳の娘・ミユキ、そして我が家のカオスな日常からスタートします。

原始人

「ミユキ!7時だよ!起きなさい!ほら、朝の漢字ドリルやる時間でしょ!」

日曜の爽やかな朝。タクミ(39歳)は大声で声を張り上げながら、10歳の娘・ミユキの部屋の布団をひっぺがした。布団の中から出てきたのは、目をうっすらとしか開けていない、まさにゾンビ状態のミユキだった。

「んー。あと5分」

「ダメ!昨日の夜も塾の宿題が終わらなくて11時過ぎまで起きてたでしょ!今日の予定詰まってるんだから!ほら、朝ご飯も冷めちゃうよ、早く食べなさいって何回言わせるの!」

タクミは焦っていた。ミユキは小学4年生。周りの家庭も本格的な受験モードに入りつつあり、タクミも、早いうちに勉強の習慣を!と、週3回の塾と毎日の大量の宿題、朝晩のドリルをスケジュールに組み込んでいたのだ。しかし、当のミユキは最近、いつもボーッとしている。学校のテストでもイージーミスを連発し、塾の先生からは、ミユキちゃん、授業中の集中力が少し続きませんね、と言われる始末。

(おかしいな。こんなに勉強時間を増やして、毎日スケジュールを管理してあげてるのに!)

その日の朝食風景も惨憺たるものだった。タクミが

「ほら、お魚残さないの」「お味噌汁も飲みなさい」

と、口うるさく先回りして指示を出し、ミユキは半分眠りながらロボットのように口へ運ぶ。そこへ、リビングのドアがガチャリと開き、タクミの妻・さやかが寝起きのボサボサ頭で入ってきた。

「ふぁ〜。あ、タクミ、朝から叫びすぎ。近所迷惑だよ」

「さやか、のんきなこと言ってる場合じゃないよ!ミユキの集中力が落ちてるんだ。もっと勉強の効率を上げるために、新しいスケジュール表を作ったから!」

タクミが誇らしげに提示したのは、15分単位で、勉強・食事・風呂がビッシリ詰まったマイルストーン表だった。

「夜は10時半まで宿題、朝は6時起きてドリル。完璧だろ?」
「うわぁ」

と、ミユキがトーストを咥えたまま絶望の声を漏らす。さやかは呆れたようにスケジュール表を指で弾いた。

「ねえタクミ。これ、1階がワラの家なのに、2階にレンガの城を建てようとしてない?」

「は?なんだよ、その例え」

「昨日、実家のお母さんから聞いたんだけどさ。隣の家に住んでる同い年のカズキくん、知ってる?」

カズキくん。ミユキと同じクラスで、最近塾にも通っていないのにテストはいつも満点、体育でも足が速くて社内の親たちの間で話題の無敵キッズだ。

「カズキくんち、何やってると思う?塾、一切行かせてなくて、毎晩9時に絶対寝かせてるんだって」

「はぁ!?」

タクミは目を見開いた。

「9時就寝!?小4で!?そんなの勉強する時間ないじゃん!」

「でも、朝は目覚ましなしで、6時に勝手に起きて、お腹すいたー!ってご飯モリモリ食べて、外で走り回って帰ってくるらしいよ。お母さんが立派な原始人って笑ってた」

「げ、原始人!?」

「そう。自分で起きて、自分で食べて、自分で眠る。体の土台がグラグラなのに勉強だけ詰め込んでも、脳が寝てたら吸収できるわけないじゃん。ミユキの集中力がないのは、性格じゃなくてただの睡眠不足!」

「ななな、なんだと!」

タクミはショックを受けた。ミユキの成績を上げたくて夜遅くまで宿題に付き合い、朝は先回りして起こし、何から何まで管理してあげていた自分の努力は、むしろミユキの「脳の土台」を崩していたというのか!?ミユキはといえば、えっ、9時に寝ていいの?と、急に目を輝かせている。タクミはスケジュール表と、目の前のゾンビ化した娘を交互に見比べた。

「よし分かった!」

タクミは拳を握りしめた。

「今日から我が家は、勉強の量を増やすのをやめる!ミユキを最強の立派な原始人に育てる作戦を開始する!!」

「え、作戦名ダサ」

というミユキの呟きを無視して、タクミの無謀で大真面目な生活改変が幕を開けたのだった。

消灯令

「いいか、ミユキ!今日から我が家は夜9時消灯だ!あと30分で布団に入れ!」

夜8時半。リビングにタクミの号令が響き渡った。

「えぇ〜!?でも塾の漢字ドリルと算数の裏ページがまだ終わってないよ!?」

勉強机で頭を抱えるミユキ。昨日までのタクミなら「あと1ページだけ頑張りなさい!」とハッパをかけていたところだが、今日のタクミは鬼の形相でノートをパタンと閉じた。

「ダメだ!あと1ページが脳の土台を崩すんだ!問答無用で寝る!宿題が終わってなかろうが、塾で怒られようが、まずは9時間に及ぶ圧倒的睡眠の確保が最優先だ!」

「ホントにいいの?塾の先生、ホント怖いんだけど」

「責任はパパが持つ!ほら、歯磨いて布団へGO!」

タクミは強引にミユキをベッドへ押し込み、夜9時ジャストに部屋の電気を消した。部屋をあとにしたタクミは、リビングで妻のさやかにどや顔を決めた。

「どうだ、さやか!完璧なスケジュール管理だろ。これでミユキの体の脳は一晩で劇的に進化するはずだ!」

「あのねぇ」

さやかは呆れ顔でビールを一口飲んだ。

「形だけ9時に布団に入れても、急に眠れるわけないでしょ。今まで11時前に寝たことないんだから」

「ふっ、甘いな。昼間あれだけ学校で疲れてるんだ、即落ちするに決まって」

「パパー!全然眠れない〜!暗闇の中で羊が500匹超えた〜!」

子供部屋からミユキの悲痛な叫びが聞こえてきた。

「ほら見なさい」

と、さやか。タクミは慌てて部屋に駆け込み、

「落ち着け!息を吸って吐くんだ!原始人の気持ちになるんだ!」

と、謎のアドバイスを送り、結局ミユキが寝付くまで添い寝をする羽目になった。翌朝、午前6時。タクミは目を覚まし、時計を見てニヤリと笑った。

(ふふふ最高の作戦の第二段階だ。朝、起こすのをやめてみる!自分で起きる力を育てるには、親の先回り厳禁!たとえ遅刻しそうになっても、パパは絶対に起こさないぞ!)

タクミはリビングのソファに腰掛け、腕組みをしてミユキが自力で起きてくるのをじっと待った。

6時15分シーン。
6時30分静寂。
6時45分鳥のさえずりしか聞こえない。
7時15分。学校の登校班が集まるまで、あと15分。

(ぐぬぬぬ起きない!まったく起きる気配がない!ゾンビどころか熟睡中のクマだ!)

タクミの額に汗がにじむ。叫んで叩き起こしたい衝動が暴れ出す。

「パパ、爪が手に食い込んでるよ」

と、横で優雅にコーヒーを飲むさやかが突っ込む。

「が、我慢だ!ここで起こしたら、一生親に起こされる脳のままだ!」

そして7時20分。

「ふぁ〜あん、いま何時?」

目をこすりながら、パジャマ姿のミユキがのそのそとリビングに現れた。壁の時計を見た瞬間、ミユキの目が丸くなった。

「えっ??ナナジニジュウフン!?やばい!遅刻する!!なんで起こしてくれなかったのパパ!?」

「起こさない!それが我が家の新ルールだ!」

「意味かんない!!」

パニックになったミユキは、猛スピードで服を着替え、パンを咥え、ランドセルを背負って玄関へダッシュしていった。今まで親に先回りされて動いていたミユキが、人生で初めて自らの意志で猛猛猛ダッシュしている瞬間だった。

バタン!

と、激しく玄関ドアが閉まる。リビングに残されたタクミは、肩で息をしながらポツリと言った。

「見たか。さやか?あんなに素早く動くミユキ、見たことないぞ」

「うん、まあ、髪の毛、爆発したまま走っていったけどね」

「自分で焦って、自分で動いた!これぞ原始人への第一歩だ!」

自画自賛するタクミだったが、その日の夕方、学校から帰ってきたミユキの手には、塾からの宿題未提出通知と、学校の遅刻スレスレ注意紙が握られていた。

「パパのせいだー!!」

と泣きつくミユキ。果たして、タクミの「立派な原始人育成計画」は本当に成果を結ぶのか!?

ドッジボール

「パパのバカー!塾の先生に宿題忘れるなんて珍しいねって言われて、ホント恥ずかしかったんだから!」

夕方のリビング。10歳のミユキはランドセルを床に投げ出し、プリプリと怒っていた。タクミは正座をして、ミユキの抗議を受け止めた。

「ミユキ、怒るのも無理はない。だが聞いてくれ。昨日、9時に寝たおかげで、今朝の君のダッシュは凄まじかった!いつもならゾンビみたいに歩いて登校班に行くのに、今日は光の速さで走っていったじゃないか!」

「それは遅刻しそうだったからでしょ!」

「そうだ!やばい!と自分の脳が判断して、自分で体を動かした!これこそが体の脳が目覚めた証拠なんだよ!」

熱弁するタクミに、ミユキは、

「意味わかんない」

と、呆れ顔だ。そこへ、妻のさやかがキッチンから顔を出した。

「はいはい、不毛な議論はそこまで。ミユキ、今日のご飯はミユキの大好きなハンバーグだよって、あれ?」

さやかが違和感に気づいた。いつもなら、帰宅するなり「お腹すいてない〜」「ご飯食べたくない〜」とぐずり、親が「一口でも食べなさい!」と追いかけ回すのが日常茶飯事だった。しかし、今のミユキは、鼻をクンクンと鳴らしている。

「お腹、すいた」

ミユキはお腹をさすりながら、自らダイニングテーブルの椅子に座った。

「パパ、ご飯まだ?めっちゃお腹すいた。今日、昼休みに校庭でドッジボールで走り回ったから、お腹と背中がくっつきそう」

「えっ!?」

タクミとさやかは、顔を見合わせた。今まで「食べなさい」と言わなければ箸すら持たなかった娘が、自ら「お腹が空いた」と言ってテーブルについたのだ。

(昼間にしっかり外で動き、夜はたっぷり眠るそうか!お腹が空いたら自分から食べに来るという原始人の基本スペックが、自然と発動している!)

タクミの胸に、熱いものがこみ上げてきた。その日の夕食で、ミユキは大きなハンバーグをペロリと完食し、普段なら絶対に手をつけないほうれん草の小鉢まで「お腹すいたから食べる」と口へ運んだ。

「すごい。ミユキが自分から野菜を食べた!」

と、感動するタクミ。

「パパ、大袈裟だよ」

と、ミユキは笑いながら、おかわりを要求した。そして、作戦を開始して1週間が経った、ある日の塾のテストの日。タクミはヒヤヒヤしていた。この1週間、塾の宿題は「9時までに終わった分だけ」にし、残りは切り捨てて9時就寝を徹底させていたからだ。当然、勉強の絶対量は以前より減っている。

(いくら体の脳が整ったと言っても、勉強量が減ってるんだ今回は成績が落ちても仕方ない。ミユキが落ち込まないといいが)

夕方、テストを終えたミユキが帰宅した。手には採点済みの答案用紙が握られている。

「ミユキ、お帰り。どうだった?」

タクミが恐る恐る尋ねると、ミユキはニカッと満面の笑みを浮かべた。

「パパ!見てこれ!算数、95点だった!」

「えぇぇぇっ!?」

タクミは叫んだ。前回のテストでは、集中力が続かずに計算ミスを連発し、60点台だったのだ。

「なんで!?宿題の量、減らしたんだぞ!?」

「なんかね」

ミユキは答案用紙を見つめながら首をかしげた。

「今回のテスト、全然眠くならなかったの。問題がホント、ハッキリ見えてさ、あ、ここ罠だなとか途中で気づけたんだよね。時間が余って見直しまでできちゃった!」

「集中力!!」

タクミは崩れ落ちるように床に膝をついた。集中力がないんじゃない。ただ脳が眠っていただけだったのだ。1階の体の脳が頑丈に整ったことで、短い勉強時間でも、驚くほどの吸収力と発揮力を生み出したのだ。

「見たか、タクミ!」

さやかが、ドヤ顔で腕を組んだ。

「1階がレンガになったから、2階の勉強がしっかり乗っかったのよ!」

「う、うむ!まさに立派な原始人の勝利だ!」

しかし、これで万事解決とはいかないのがこの家族。調子に乗ったタクミは、

「よーし!この勢いでミユキを超・原始人にするぞ!」

と、またしても極端な新しい作戦を思いつき、家族を巻き込む大騒動を起こそうとしていたのだった。

超・原始人

算数で95点を叩き出したミユキの成果に、完全に味をしめたタクミ(39歳)の暴走は止まらなかった。

「いいか二人とも!体の脳を鍛えることでミユキの覚醒が証明された!ならば次は、さらなる高みを目指す超・原始人作戦の開始だ!」

日曜日の朝、リビングでタクミが腕組みをして叫んだ。手には「日の出とともに起床」「朝ランニング3キロ」「川遊びで野生の勘を取り戻す」と書かれた狂気のスケジュール表が握られている。さやかが冷めた目で言った。

「タクミ。それ、勉強ができる子を育てるんじゃなくて、ただの野生児を育てようとしてない?」

「何を言うか!脳科学では動くことが重要なのだ!ミユキ、さあ着替えてパパと朝ランニングへGOだ!」

タクミが拳を突き上げた、その時だった。

「パパ」

ミユキが冷静な声でタクミを制した。パジャマ姿のミユキは、あくびをひとつ噛み殺すと、自分で冷蔵庫を開けて牛乳を取り出し、コップに注いでぐびぐびと飲んだ。

「私、ランニングは行かないよ」

「な、なんだって!?なぜだ。ミユキ!原始人の鍛錬だぞ!?」

「だって、今日は日曜日だし、自分のペースで休みたいもん。それに私、もう自分でお腹すいたとか眠いとか分かるようになったから、パパが張り切って命令決めなくても大丈夫」

ミユキはそう言うと、食パンをトースターに入れ、タイマーを自分でセットした。

「え?」

タクミはポカンと口を開けた。かつては朝起きてから夜寝るまで、「早く起きなさい」「ご飯食べなさい」「勉強しなさい」と親が先回りして指示を出し、ロボットのように動いていたミユキ。そのミユキが今や、自分の体の声を聞き、自分の判断で「休む、食べる、動く」を選択できるようになっていたのだ。

「そっか」

タクミは手に持っていた「超・原始人スケジュール表」をゆっくりと降ろした。過保護に管理しすぎていた時も、逆に原始人に育てなきゃ!と意気込んでいた時も、結局自分は、親がコントロールしようとしていただけだったのだ。子どもは、ちゃんと自分で起きる力も、食べる力も、生きる力も持っている。親の役割は、それを先回りして奪うことではなく、夜9時に安心して眠れる環境をただ整えてあげることだけだったのだと、タクミはようやく悟った。さやかがクスッと笑った。

「ほらね。ミユキの方が、よっぽど立派な大人じゃない」

「うう、ミユキがたくましく育ちすぎて、パパちょっと寂しい」

泣き真似をするタクミに、ミユキは苦笑いしながら焼きたてのトーストを差し出した。

「パパ、はい。自分で焼いたやつ、半分あげる。しっかり食べて体の脳育てなよ」

「ミユキ〜〜ッ!!」

数ヶ月後。ミユキの部屋の時計が、カチカチと午後8時55分を刻んでいる。かつてのような、あと1ページだけ!という親の叫び声も、夜遅くまで響いていた鉛筆のカリカリ音もない。ミユキは、

「あ〜、今日もよく遊んでよく勉強した!」

と伸びをすると、自分で明日の学校の準備をし、9時ジャストにベッドに入った。

「パパ、おやすみ〜」

「おう、おやすみミユキ。良い夢をな」

パチン、と部屋の電気が消える。リビングに戻ったタクミとさやかは、静かになった家の中で、二人で温かいお茶を飲んでいた。

「ねえタクミ。ミユキ、最近学校でもすごく楽しそうだし、塾の成績も安定してるね」

「ああ。1階の体の脳が頑丈だからな。どんなレンガを乗せても崩れないんだよ」

タクミは満足そうに微笑み、お茶を一口すすった。

「勉強の量を増やす前に、まず寝る、起きる、食べる、動く。親ができる一番の教育は、夜9時に家を静かにしてやることだったんだな」

「そうね。じゃあ、私たちもそろそろ寝ようか」

「よし、我が家は全員、今夜も立派な原始人としてぐっすり眠るとするか!」

灯りが消えたタクミの家からは、今日も健やかで心地よい寝息が聞こえてくるのだった。

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