サブスク
サブスク

「水谷さーん! 奇跡! 奇跡が起きた! 頼んでないのに明日のプレゼン資料の印刷と製本、全部終わってるんだけど! もしかして小人の靴屋さん!?」オフィスのフロアに、営業部の後輩・佐藤の能天気な声が響き渡った。デスクでカタカタとキーボードを叩いていた水谷真理(28歳)は、内心で「小人の靴屋さんじゃなくて、私だよ」とツッコミを入れつつ、営業スマイルを浮かべた。

感謝

「佐藤くん、それ私。昨日ちょっと時間があったからやっといたよ」
「えっ、真理さん!? マジで神! 抱きしめたい! 抱きしめないけど!」

周囲の社員たちも「さすが真理さん」「気が利く〜」と口々に口にする。かつてはこの言葉が、真理のガソリンだった。頼まれる前に動き、困っている人の先回りをする。ありがとうと言われるたびに、自分の胸の奥にある小さな「ここに居てもいいんだ」という空きスペースが、温かい空気で満たされる気がしたのだ。しかし、ここ最近、真理の心にはうっすらと暗雲が立ち込めている。

「真理さん、ついでにこれシュレッダーかけといて〜」
「真理先輩、さっきの会議の議事録って明日までに上がりますよね?」
「真理ちゃん、給湯室のコーヒー豆切れてたよ〜」

(ん?)

真理はふと立ち止まった。感謝の言葉が、日に日に雑になっている。いや、雑どころか、もはや日常の環境音と化している。以前なら「うわあ助かった! 本当にありがとう!」だったものが、いまや「あ、どうもー」くらいになり、最近に至っては「〇〇まだー?」である。まるで自分が、会社というシステムを滑らかにするための無料の潤滑油か何かに思えてくる。

(私、助ける量を増やせば増やすほど、雑に扱われてない?)

その日の夜。真理は実家で、母の恵子、父の和男、そして高校生の弟・陸と夕食を囲んでいた。真理の家は、全員が喋り出すと収集がつかなくなる賑やかな家庭だ。

「でね、今日なんか真理さんならやってくれて当然みたいな顔されたの! おかしいでしょ、私、頼まれてもないのに親切でやってあげたんだよ!?」

唐揚げを口に放り込みながらプンプン怒る真理に、父の和男がビール片手に呑気に頷く。

「うむ。お父さんもな、会社で気遣いの男と呼ばれたくてな、後輩の缶コーヒーの好みを全員分メモして差し入れしてたんだよ。そしたら半年後、後輩から課長、今日微糖じゃないっすってクレーム入ったぞ」

「それはお父さんが甘やかしすぎなの!」

と母の恵子。

「でもさー、姉ちゃん」と弟の陸がスマホから目を離さずに言った。「姉ちゃんのそれって、サブスクみたいなもんでしょ」

「サブスク!?」

「そう。最初は初回無料体験!って喜ばれるけど、毎月自動で供給されてたら、誰もわざわざ感謝しないじゃん。解約されて初めて焦るやつ」

陸の雑な例え話だったが、真理の胸にぐさりと刺さった。

(サブスク。私、自分の親切を、勝手に月額0円で定額配信してた?)

真理は思い返してみた。なぜ自分は、頼まれてもいないのに先回りして助けてしまうのか。断ったら嫌われるんじゃないか。役に立たないと、この職場に居場所がなくなるんじゃないか。気が利く良い先輩というラベルを貼っておかないと、誰にも相手にされないんじゃないか。そう、真理が差し出していたのは、相手のための純粋な手助けだけではなかったのだ。ここに居てもいいと思いたいという、自分自身の不安を埋めるための役割だった。

だから相手も無意識に察してしまうのだ。これは対等な優しさではなく、この人はやってくれる人というポジションなんだな、と。

「気づいちゃった」

真理はポツリと呟いた。

「私、もっと助けるべきか、それとも冷たくして助けるのをやめるべきかで悩んでたけど、そうじゃないんだわ。その助けが相手がマジで必要としてるものなのか、それとも私が安心したいだけの関係づくりなのか、分けてなかったんだ!」

「お、姉ちゃんが急に哲学的なこと言い出した」

と陸。

「よくわからないけど、真理、唐揚げ取って」

と和男。

「お父さん、自分で取りなさい!」

と、恵子。食卓のガヤガヤした声を背景に、真理の目には小さな炎が宿っていた。よし。明日から、私の無駄な先回りは営業停止だ。相手が本当に困って必要とした時だけ、最高のパフォーマンスを発揮する。自分の居場所を守るための親切は、もう金庫にしまおう。真理の、会社での立ち位置再構築作戦が、いま静かに始まろうとしていた。

断捨離

翌朝。真理は強い意志を胸に、オフィスビルを潜り抜けた。

(今日の目標:頼まれていない「先回り親切」は一切しない! 自分の居場所を買うためのサービス業は廃業です!)

デスクに着くと、さっそく第一の試練が訪れた。隣の席の営業部員・佐藤が、頭を抱えて唸っている。

「う〜ん。このデータ、どのフォルダに入ってたっけな」

いつもの真理なら、「あ、佐藤くん! それ2025_営業実績のサブフォルダにあるよ!」と、頼まれてもいないのに秒で検索して教えてあげていたところだ。だが、今日の真理は違う。キーボードを叩くフリをしながら、心を鬼にした。

(落ち着け私。佐藤くんはまだ私に助けてと言っていない。彼は今、自力で探すという成長の機会を得ているのだ!)

チラッと横目で見ると、佐藤は3分ほどウロウロした末、「あ、あった!」と自力で解決していた。

(ほら見ろ! 私が先回りしなくても、世界は回るじゃないか!)

真理は心の中で小さくガッツポーズをした。必要とされている助けと、安心したいだけの助け。このふたつを切り分けるのは、思った以上に爽快だった。頼まれた仕事には120%の精度で応え、頼まれていないお節介はサッと引く。それだけで、無駄な徒労感が激減したのだ。しかし、長年、無料の潤滑油として機能していた真理が動きを変えたことで、オフィスに微妙なバグが発生し始めた。

「あれ? 今日の会議室、マイクの準備されてない?」
「いつも真理さんがお茶淹れてくれてたよね?」
「シュレッダー、紙詰まりしてるけど誰が直すの?」

周囲の社員たちが、ざわつき始める。彼らは真理が冷たくなったとは思っていない。ただ、今まで空気のように存在していた快適な環境が消えたことに対する違和感に戸惑っているのだ。真理は内心、

(今まで、どんだけ私に頼り切ってたのよ!)

と呆れつつも、涼しい顔で自分の業務に集中した。頼まれれば「いいですよ!」と笑顔で助けるが、頼まれるまでは絶対に動かない。その日の夜、真理は再び実家の食卓で戦果を報告していた。

「見てよこのすっきりした顔! 今日は頼まれてない親切、ゼロ! 無駄なエネルギー使わなかったから、肩こりまで治った気がする!」

「へえ、姉ちゃん、意外とドライになれるじゃん」

弟の陸が、豚の生姜焼きをつまみながら言った。

「でもさ、今までやってくれてたことを急にやらなくなると、真理さん、なんか怒ってる?って余計な気遣いされない?」

「うぐっ」

図星だった。確かに夕方ごろ、佐藤がビクビクしながら

「真理さん僕、何か気に障ることしました?」

と聞いてきたのだ。

「ううん、集中してただけだよ!」

と、笑って誤魔化したものの、長年作ってきた関係性のバランスを変えるのは、一筋縄ではいかない。

「まあまあ、急に変えたら周りもびっくりするわよ」

と、母の恵子。

「そうだな。父さんもな、後輩への缶コーヒー差し入れをやめた日、課長、ついにリストラですかって噂されたぞ」

と、父の和男。

「お父さんの場合は普段の言動に問題があるの!」

和気あいあいと笑い合う水谷家。しかし翌日、真理の、脱・親切作戦を揺るがす最大の試練が、会社で待ち受けていた。

大事件

午後3時。フロアに激震が走る。

「大変だ! 30分後の役員会議で使うプレゼン資料、部長のPCのバグで最終版が消えた!?」

営業部長が青ざめ、佐藤は泡を吹きかけている。復旧しようにもバックアップの場所が分からず、現場は大混乱。全員がパニックに陥り、オフィスはまるで沈没しかけた船のようになった。

(これは!)

真理の脳内に警戒アラートが鳴り響く。頼まれてはいない。でも、これは、自分の居場所を守るための親切か? それとも、いま本当に求められている必要か?混乱の中、佐藤が半泣きで真理にすがってきた。

「真理さん! たすけて! 僕たちじゃ、どこに自動保存のバックアップがあるか分からないんです!」

真理の目が、キラーンと光った。

(必要だ。100%、純度100%の「必要」がここに来た!)

「佐藤くん、落ち着いて。部長のPC貸して!」

真理は腕まくりをすると、迷いなくデスクへと駆け出した。

レスキュー

「佐藤くん、部長のPCのローカルフォルダじゃなくて、クラウドの臨時キャッシュダイレクトを開いて! 15分前のオートセーブが残ってるはず!」

真理のキーボードを叩く音が、オフィスのフロアにダダダダッ!と響き渡る。

「は、はいっ! あ、あった! ありました真理さん! バックアップ生きてます!」

「よし、そのまま印刷に回して! 佐藤くんはトナーの残量確認、高橋さんは会議室のプロジェクター接続! 私がページの乱れをチェックするから!」

「サー、イエッサー!!」

真理の的確で無駄のない指示に、パニック状態だった営業部がまるで訓練された特殊部隊のように動き出す。かつての真理なら、「私が全部やりますからみなさんは落ち着いて!」と一人で抱え込み、汗だくになりながらサービス残業をしていたはずだ。しかし今の真理は違う。「自分一人で背負って居場所を作る」のではなく、「いまチームに何が必要か」を冷徹なまでに見極めていた。

開始5分前。無事に完璧な資料が役員会議室の机に並べられた。

「助かった本当に助かったよ、水谷さん!」

営業部長がハンカチで汗を拭きながら、拝むように真理の手を握った。その直後、会議室へ向かう部長の背中を見送りながら、佐藤がしみじみと呟いた。

「真理さん今日の真理さん、マジでヒーローでした。っていうか、頼りになりすぎてちょっと怖いくらいでした」

「ふふ、大袈裟だよ」

真理は軽く笑って自分のデスクに戻った。その日の帰り道、真理の胸にあったのは、以前のような「やってあげたのに雑に扱われた」というモヤモヤではなく、澄み切った達成感だった。

(そうかこれが対等な助け合いなんだ)

今までの自分は、必要とされることと、都合よく使われることの区別がついていなかった。自分が嫌われないために先回りして差し出していた優しさは、相手にとっても重く、そして当たり前になってしまっていたのだ。しかし、本当に相手が困り、助けてほしいとSOSを出した時に発揮する力は、相手にとっても、そして自分にとっても、かけがえのない価値になる。

その夜。水谷家のダイニングテーブルには、真理の大活躍を祝して(?)、母特製の焼き肉が並んでいた。

「へえ〜! 姉ちゃん、パニックの現場で指揮執ったんだ! カッコいいじゃん!」

弟の陸がカルビを頬張りながら目を輝かせる。

「うむ! これぞ我が水谷家の血統! トラブルの時こそ真価を発揮するのだ!」

父の和男が胸を張るが、母の恵子がすかさずツッコミを入れた。

「お父さんはこの前、家の鍵をなくしてパニックになって庭の犬小屋に頭突っ込んでたじゃない」

「それはそれ! あれはポチとの心の交流だ!」

家族の賑やかな会話を聞きながら、真理はビールを一口飲んだ。

「でもね、今日分かったの。私が先回りするのをやめたら、周りのみんなも自分で動くようになったんだよね。佐藤くんだって、前なら真理さ〜んって丸投げしてきたのに、今日は自分でトナー交換行ってたし」

「それだよ、姉ちゃん」

と、陸が箸を指した。

「さっきのサブスクの話だけどさ。無料配布をやめたら、ユーザー(同僚)があ、これ有料の価値あるコンテンツだったんだって気づいたんだよ。感謝の単価が上がったんだよ」

「感謝の単価! 言い方はアレだけど、言い得て妙ね」

と、恵子も笑う。

「でもね」

真理は少しだけ真顔になった。

「助けすぎないようにするのは分かったけど、じゃあ、本当に大切にされる関係って、ここからどうやって作っていけばいいんだろう? 助けない自分にも、ちゃんと価値があるって、どうやって思えばいいのかな」

調子に乗って、脱・無料の潤滑油を果たした真理だったが、最後に残った自分自身の居場所という根本的な問いに、ふと立ち止まってしまった。その時、父の和男が、珍しく真面目な顔をして言った。

「真理。お前な、役に立つからここに居ていいんじゃないぞ」

「え?」

「お前がただ居るから、我が家は賑やかで楽しいんだ。会社だって同じだよ。仕事ができるできないの前に、お前がそこに居ることが、もう周囲にとっての居場所になってるんじゃないのか?」

珍しく良いことを言った父に、母も優しく頷く。真理の胸の奥で、カチリと小さなパズルのピースがはまる音がした。必要だから助ける。関係づくりのために助けるのをやめる。そして助けても、助けなくても、自分という存在そのものを認めること。真理は明日からの職場での、本当の自分のあり方が、うっすらと見えてきた気がした。

無料サービス終了

あの大騒動から、1ヶ月が経った。月曜日の朝。オフィスのフロアは、以前と変わらず忙しく活気に満ちあふれている。しかし、水谷真理の周りの空気は、確実に、そして劇的に変化していた。

「真理先輩! これ、先週頼まれてたリサーチ資料です! チェックお願いします!」

後輩の佐藤が、どこか誇らしげな顔でファイルを差し出してきた。

「ありがとう、佐藤くん。助かるわ」

「いえ! 真理先輩に頼むって言われた仕事は、気合が入りますから!」

佐藤は爽やかに笑うと、自分のデスクへと戻っていった。以前のように「真理さんやっておいて〜」と甘える姿は、もうどこにもない。真理が何でも先回りしてやってあげるお母さんをやめたことで、チームのメンバー全員が、自分の足で立ち、お互いの領分をリスペクトするようになっていたのだ。今の真理は、誰かが本当に困って手助けを求めてきた時だけ、最高の必要に応える。頼まれていないお節介は焼きもしないし、嫌われるのを恐れて引き受けることもない。

(助けても、大切にされる。助けなくても、ちゃんとここに居場所がある)

その実感は、真理の心を驚くほど軽やかにしていた。

「水谷さん、ちょっといい?」

声をかけてきたのは、他部署の同期・加藤だった。手に缶コーヒーを2つ持っている。

「これ、こないだのプロジェクトでフォローしてもらったお礼。いつも助かるよ」

「えっ、いいの? ありがとう!」

一口飲むと、大好きな微糖の味わいが広がった。かつては真理が相手の好みを察して先回りで配っていた缶コーヒーが、今は差し出される側になっている。対等な関係から生まれるありがとうは、こんなにも温かく、胸に染みるものなのかと真理はかみしめた。その日の夜。水谷家では、真理の、脱・無料潤滑油プロジェクトの完全成功を祝して、手巻き寿司パーティが開かれていた。

「いやあ、真理。頼れる先輩として社内での評判もうなぎ上りらしいじゃないか!」

父の和男が、マグロをドサッと酢飯に乗せながら嬉しそうに目尻を下げている。

「お父さん、ご飯が見えないくらい乗せないでよ」

と、母の恵子が呆れつつ、

「でも本当に良かったわね。顔つきがすごくスッキリして、楽しそうだもの」

と、真理に微笑みかけた。

「まあね!」

真理は胸を張った。

「私、やっと分かったの。役に立つからここに居ていいんじゃなくて、お互いにリスペクトし合える関係があるから、助け合いが特別で価値のあるものになるんだなって」

「へえー、姉ちゃん、すっかり成長しちゃって」

弟の陸が、手巻き寿司を頬張りながらスマホを操作する。

「で、その大人の余裕を手に入れた姉ちゃんに、弟から提案があるんだけど」

「なに?」

陸は、画面に表示された新作ゲームの購入ページを真理に見せた。

「これさ、俺の必要なんだけど。姉ちゃんの家族への愛という関係づくりのために、買ってくれない?」

「は?」

真理は冷ややかな目を陸に向けた。

「陸くん。それは必要でも関係づくりでもなく、ただの甘えです。却下!」

「ちぇーっ、見破られたか! 成長した姉ちゃん、厳しい〜!」

「ワハハ! 陸、甘いぞ! 真理の有料コンテンツ化を舐めるなよ!」

と、父・和男が大笑いし、母・恵子もクスクスと笑いを漏らす。賑やかな笑い声が、リビング全体を満たしていく。真理は、わさびの効いたサーモンを手巻きにしながら、しみじみと思った。

居場所は、誰かを助け続けることで必死に勝ち取るものじゃない。自分が自分を認め、目の前の人と対等に向き合ったとき、そこには最初から、あたたかい居場所が広がっているのだ。

「よしっ、明日も自分のペースで、楽しく働きますか!」

真理の宣言に、水谷家のグラスが威勢よくカチンと音を立てた。

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