長野へ向かうETCの記録—妻の行き先に、僕はまだ追いつけない
長野へ向かうETCの記録—妻の行き先に、僕はまだ追いつけない

見えても良さそうなのに、本人が絶対に気づかないこと。家庭内での夫婦喧嘩の原因となる夫の問題行動というものは確かに存在します。本人には見えなくても、妻にはするどい痛みをともなう行動です。そんな不満をどうにかして見つけだそうとするある夫の物語です。


妻の不満

子どもたちが巣立ってから、もうずいぶん経つ。

長女が結婚したとき、まだ次女がいるからと、夫婦二人の生活を深く考えることもなかった。それから二年後、次女も嫁いで家を出た。そのときも「孫を連れて、たまには帰ってくるだろう」と、安易に考えていた。それからというもの、妻と二人きりの生活は、淡々と続いていく。

私はまだ仕事を続けている。朝、家を出て夜に帰る。その間に、妻は家事のすべてをこなしている。掃除、洗濯、買い物、料理。それに加えて、最近では私の実家の両親の介護まで手伝ってくれている。妻には感謝している。しかし、その感謝の気持ちは、正面から伝えたことはない。

ある日、ETCカードの利用履歴を見た。そこには「長野」の文字があった。妻は、片道2時間かけてドライブに行ったらしい。それを知ったとき、「長野まで行ったのか?」と彼女に言うことはなかった。なぜなら、妻もまた、自由を求めていると思ったからだ。

私だって、自由にさせてもらっている。週に二日、可燃ごみの日とプラゴミの日。それだけが私の唯一の家事だ。賃貸マンションの玄関に用意されたゴミを出すだけの、簡単な仕事。それでも、いまだ火曜日と水曜日だったか木曜日だったか定かではない。

妻は、こんな生活でいいと思っているのだろうか。いや、そうではないはずだ。

今まで、妻は何度か不満を口にすることがあった。食事を作って待っているのに、私が無断で食べてきたり、出張で急に帰れなくなったりしたときのこと。きっと、ひと言言ってくれればいいのに、と思っていたことだろう。しかし、私が変わらないと知ってか、思い出せないくらいの以前から、何も言わなくなった。

妻の不満は、表には見えなくなったのだった。それは、もはや諦めなのだろうか。

これから、二人で向き合って将来の話をしよう、と私が言い出したとしても、「今さら何を話すの?」と、妻は返すかもしれない。このまま、何の計画もなく、ただ時間が過ぎていく。それが私たちの老後なのだろうか。

いや、もしかしたら、お互いが望んでいるのは、やりたいことをやって、ぽっくり逝くことなのかもしれない。

貯金も時間も、いつでも妻が自由に使えるようにしてあるつもりだ。私が工場長として得ている収入は、決して多いわけではないが、使いたいときに使ってほしいと思っている。

妻は、何を求めているのだろう。自由な時間?それならば、彼女だって自由に旅に出ればいい。私と離れて、誰かと出かけてもいい。

彼女は、本当にそれでいいのだろうか(いや、そんなことはない、というかもしれない)。

それとも、私に何かを求めているのだろうか(そう、いいたいことはいっぱいあるけど、あきらめた、と思っているのだろうか?)。

それらの答えは、私にはわからない。そして、聞く勇気もない。

ただ、静かに時間は過ぎていく。まるで、水面下で何かが渦巻いているかのように、見えない不安を抱えたまま、私たちの第二の人生は始まっていた。

夕食の焼き鳥

妻が長野に出かけた日の夕食は、いつもと同じだった。甘く焼いた卵焼きと、甘辛いタレで焼いた焼き鳥、それにキャベツの千切りが添えられていた。私の分だけ、きれいに小分けにして取り置きがされていた。いつもと変わらない、当たり前のような食卓。しかし、今思えば、その食事が、彼女の深い諦めを物語っていたのかもしれない。

きっと、長野にはその当時の知り合いがいたのだろう。そういえば、私も何度か一緒に訪問したことがあった。その家の居間で、妻が友人とおしゃべりをしている間、私は庭に出て猫を撫でていた。喉をゴロゴロと鳴らす猫の温かさが、まだ手のひらに残っているようだ。クリスマスの時期には、友人家族が集まってクリスマス会も開いた。そのとき会った友人と、今も連絡を取り合っているのだろうか。

もしかしたら妻は、長野まであの頃の思い出を確かめに行ったのかもしれない。何もかもが新鮮で、夫婦で未来を語り合っていたあの頃の私を探しに。

しかし、私は彼女に何も聞くことはできなかった。ETCカードの履歴を見て、彼女の行動を知っただけで、その真意を探ろうとはしなかった。聞くのが怖かったのかもしれない。

もし、「どうして今頃、長野に?」と尋ねていたら、彼女はどんな顔をしていただろう。あるいは、どんな言葉が返ってきていただろう。

あの日の夕食の卵焼きと焼き鳥は、いつもよりも少しだけ甘かった気がする。それは、気のせいだろうか。

私たちの関係は、すっかり言葉を失ってしまった。まるで、長年連れ添った夫婦の間に生まれる、深い理解という名の沈黙。しかし、それは果たして理解なのだろうか。

妻は、本当にそれでいいのだろうか。

中国への海外出張

そんなとき、私に中国への出張が決まった。現地工場の製造ラインが新しく稼働するのだ。期間は二週間。今までになかった機会に、私はひそかに胸を躍らせていた。これを機に、妻との距離が少し広がれば、帰ってきたときお互いのことを新鮮に感じられるかもしれない。

直接話し合うという面倒なことから逃げたいだけだと、心の奥底では分かっていたけれど、こう前向きに考えでもしなければ、この状況を乗り越えられない気がしていた。

スーツケースに衣類を詰め込んでいると、妻が「これも足りないんじゃない?」と、靴下とタオルを差し出した。

「下着も足りないんだ、向こうでは洗濯しないと思うから」と私が言うと、彼女は「そりゃあそうよね」と頷き、翌日には新しい下着とワイシャツを四セット用意してくれた。

妻は私の世話をしたいのだろうか?何か頼ってほしいと思っているのだろうか?いや、違う。私が出張に出て二週間も家を空けるのが楽しみなだけかもしれない。

中国での仕事は順調に終わった。二週間後、私は無事に羽田空港へと戻ってきた。迎えに来てくれる人はいないだろうと思っていた。妻には帰りのフライトをあえて伝えていなかったからだ。どうせ来ないだろうし、来てほしいとも言えない。それが、いつもの私たちだった。

しかし、京急の改札前で、思いがけない声が聞こえた。

「お母さんに聞いてきたの。品川が職場だから」

嫁いでいった次女だった。上海からの便を調べてくれていたらしい。その場で「ありがとう、来てくれて」と、心からの感謝を伝えることができた。この言葉は、妻にも伝えなくてはならなかった、とその時思った。

次女と一緒に帰宅すると、時刻は午後七時を過ぎていた。帰る時間を伝えていなかったにもかかわらず、夕食の準備ができていた。甘く焼いた卵焼き、甘辛いタレの焼き鳥、それにキャベツの千切り。二週間前と同じメニューだったが、今回は次女の分も用意されていた。

テーブルに並べられた料理を見て、私は気づいた。妻は、私が帰ってくる時間を調べていたのだ。彼女は、私のために食事を作り、待っていてくれていた。そして、言葉にしない私の感謝の気持ちを、ずっと推測していたのだろう。

別居の理由

それからしばらくして、私たちは別居することになった。私が息苦しさを感じていたように、妻も同じだったのかもしれない。別居したいと切り出したのは妻の方だったが、遅かれ早かれ私も同じ提案をしていたと思う。

別居の理由に、特別なものはなかった。私が「仕事が忙しいから、職場の近くに住む」と言えば、妻は「母親の介護がしやすいように、実家へ引っ越す」と言った。結局、妻は実家へ、私は職場の近くのマンションへ、それぞれ別の場所で生活を始めた。

しかし、私たちはもともと二人で暮らしていた賃貸マンションを解約しなかった。この部屋すらなくなってしまうと、お互いにとって帰る場所がなくなる。そう考えると、近いうちに「やり直し」ができるように、最後の砦としてこの部屋を残しておきたかったのだ。決して安くはない家賃を払い続けるのは、その切実な思いからだった。

この話は、妻が私の目の前で、子どもたち二人に伝えてくれた。余計な心配をかけないように、妻は淡々と、軽やかに話していた。そうして、私たちの静かな別居生活が始まった。

そのまま、五年という月日が流れた。

私は定年を迎え、一度経験した定年延長もあと一年を残すのみとなった。次の延長があるかどうかは分からないが、それがなければ別居の理由も無くなる。そうしたら、今借りている職場近くのマンションを引き払って、自宅の賃貸マンションへ帰るつもりだった。

妻の両親も老いてはきているが、まだ元気そうだ。彼らが亡くなったり、本格的な介護が必要になったときに、妻は実家から戻ってくるだろうか。お互いの「タイムリミット」が迫っているはずなのに、私たちは何もできないまま、五年間を過ごしてきた。

妻は、自宅マンションへよく帰ってきてくれていたらしい。その都度、次女が手伝って、掃除や片付け、部屋の空気の入れ替えをしてくれていたこともあとから知った。先日、オンラインで参加した長女も一緒に、妻の誕生日を祝ってくれた。私は、その報告があるまで妻の誕生日をすっかり忘れていた。

一人暮らしのつまらなさを感じながらも、「仕事があるから、社会に貢献しなくては」という思いで、なんとか生活を続けていた。不思議なことに、体調はすこぶる良い。体重が落ちて、二十歳の頃と同じ体重になったのが良かったのかもしれない。その分、足と腕はとても細くなった。通勤が楽になったから、筋肉量が減ったのだろう。

自宅には一度も帰っていない。帰れる時間も余裕もある。それでも、帰りたいと思えなくなっていた。いや、本当は「帰れない」と思い込んでいただけなのかもしれない。

次女、長女の優しい連携

ある週末、次女から自宅へ寄ってきたと連絡を受けた。妻もいつものように、実家から自宅へ帰ってきていたという。金曜日の夕方、次女夫婦と妻の三人で夕食の準備をしながら、百個近くの餃子を包んでいたらしい。その時、妻がぽつりと、まるで独り言のように言ったそうだ。

「お父さん、餃子の皮を包むなんてやったことないわ。あなたたち、本当に幸せよね。」

次女は、その言葉に少し驚いたらしい。そして、笑いながらこう返したそうだ。

「餃子なんて、食べるの一瞬だから、包むときほど楽しいことないわ。包み方で人それぞれの性格が出るでしょ。」

その言葉を口にした瞬間、次女ははっと気づいたらしい。小さな仕草や癖からでも、人の本質は見抜けるのに、どうして夫婦だと分かり合うのが難しいのだろう、と。彼女は、その気づきを母親に伝えることはなかった。それは、私たち夫婦の問題に子どもが口出しすることではないと思ったから。そして、もし口出ししてしまったら、私たちの関係が破綻していると認めてしまうようで、それが怖かったからだ。

その翌朝、土曜日。私は誰もいない職場で、仕事があるわけでもないのに、なんとなくパソコンに向かっていた。すると、妻からLINEが届いた。

餃子

「昨日の残りだけど、餃子がたべきれないからタッパーに入れて冷蔵庫に入れておきます。たまには帰ってきて栄養つけましょう」

そのメッセージを読んだ瞬間、私は固まった。まるで、長い時間をかけて凍りついていた何かが、ゆっくりと溶け出すような感覚だった。

ラインのメッセージには「昨日、次女夫婦といっしょに作った餃子」とあった。

その次女によると、単に照れ隠しだったのかもしれないが、「餃子なんて、食べるの一瞬だから、包むときほど楽しいことないわ」といって、タッパーに余りを取り分けてくれたらしい。

次女が妻に語ったというそのひとことは、そっくりそのまま、私に語りかけているようなひとことだった。

妻は、私と一緒に餃子を包む時間が欲しかったのだろうか。

そして、今、彼女は「たまには帰ってきて」と、私に帰る場所を示してくれた。五年という歳月の中で、私から離れ、自分の時間を持ちながらも、彼女は私の帰りを待っていたのだ。そのメッセージは、まるで私の存在を確かめるようだった。

私は、すぐにスマートフォンを手に取り、妻に返信した。

「今日は、帰るよ」

今まで、二人でいる空間から逃げ続けてきたけれど、今なら、妻にきちんと向き合える気がした。もしかしたら、妻は、ただ私と一緒に餃子を包んで、たわいもない話がしたかっただけなのかもしれない。

タッパーに入った焼き鳥

仕事場から電車を乗り継いで家へと向かう間、頭の中はぐちゃぐちゃだった。喜び、戸惑い、そして少しの恥ずかしさ。この五年、私は一体何をしていたのだろう。

玄関の鍵を開けると、五年ぶりに嗅ぐ、慣れ親しんだ家の匂いがした。妻は出かけていて留守だった。

埃っぽさではなく、清々しい空気。次女が掃除をしてくれたのだろう。リビングに入ると、テーブルの上には、メモがそっと置かれていた。「冷蔵庫に餃子があります」

タッパーは2つあった。一つは餃子、もう一つには、甘く焼かれた卵焼きと、甘辛いタレの焼き鳥、そしてキャベツの千切りが入っていた。長野へ出かける前日と、全く同じメニューだった。

私はタッパーを手に取り、電子レンジで温めた。ピロロロ、という仕上がりの音が静かな部屋に響く。それは、この五年間、私が一度も聞かなかった音だった。今日はなぜかその音に特別な意味を持っているかのような新鮮さと懐かしさが感じられた。

食卓に向かい、温まった餃子を口にする。妻がLINEで書いていた通り、一つ一つに次女夫婦と妻の思いが詰まっているようだ。食べながら、私も次女夫婦が餃子を包んでいるときの妻の言葉と同じことばを考えていた。「餃子を包む作業なんて、やったことなかったな、おれは」。

あとから思えば娘夫婦と妻とのたわいのない会話だったのかもしれない。しかし、妻は餃子を包むという、ささやかな共同作業を私と共有したかったのだろう。

食べ終わってから、リビングのソファに腰掛ける。そこに次女から電話がかかってきた。「お父さん、ちゃんと帰った?」という次女の声に、私は「ああ、帰ってるよ」と答えた。そして、私は次女に「かあさんの誕生日、忘れてたよ」と伝えた。次女は「いいの、お父さん。お母さんは、もう慣れているから」と、笑いながら言った。その言葉もまた、私はドキリとしたのだった。

週末、自宅に帰る生活

その日以来、私は毎週土曜日の朝、自宅に帰るようになった。妻に連絡することなく、ただ当たり前のように。そして、妻もまた、当たり前のように私を迎え入れた。私たちはお互いに何も話さなかった。妻は週末になると、実家から戻ってきていた。

土曜日の朝、私は朝食を準備し始めた。妻が「私がやるわ」と言ったが、私は「いいよ」と言って、フレンチトーストを焼いた。私が作れるのは食パンを少し焼くくらいのものなのでフレンチトーストが限界だった。が、それでも妻は「おいしいわ」と、微笑んでくれた。

私たちは、同じ空間にいるだけで、お互いの存在を静かに感じていた。私は、妻がテレビを見ている姿を、彼女がベランダの花に水をやっている姿を、ただ見つめているだけでよかった。言葉はいらなかった。

ある日、次女夫婦が自宅へやってきた。その日は、長女夫婦もオンラインで加わった。皆で食卓を囲み、昔の思い出話に花を咲かせた。次女が昔のディズニーランドでの話をしていると、妻が「そういえば、あのときね…」と、私の知らなかったエピソードを話し始めた。私はその時のことを少しだけ覚えていた。パレードを道端のフェンス越しに眺めたときのことだった。真夏の夕暮れで、熱気が下からあがってきていたことを思い出した。

私は、妻が楽しそうに話す様子を見て、心が温かくなるのを感じた。私たちは、同じ思い出を共有できる。それだけで十分だった。

私たちの関係は、静かに見守り合うような関係へと変わっていった。それは、かつてのような二人きりの生活に戻ったわけではない。しかし、言葉を交わさずとも、お互いの存在を静かに感じ、深く心を通わせることができた。

私たちは、過去を振り返ることもなく、ただ今のこの瞬間を大切に生きていく。それが、お互いが求めていた、新しい私達の姿なのかもしれない。

夫が気をつけるべきそのほかの地雷

世間一般では、夫が気をつけるべき妻に対する行動としては、このようなのもあります。くれぐれも注意してください。

結婚記念日や誕生日などを忘れてしまい妻をがっかりさせる。自分の両親や友人の前で冗談のつもりで妻の容姿や家事の腕をけなす。仕事で疲れていることを理由に家事や育児をすべて妻に押し付ける。妻がしてくれた家事や育児に対して「ありがとう」の一言もなく、それが当たり前だと思っている。家にいる間、妻や子どもとのコミュニケーションよりも自分の趣味にばかり時間を費やす。脱いだ服をそのままにしたり、食べ終わった食器を片付けなかったりするなど、身の回りのことをだらしなく扱う。

すべてバツです。

Xでフォローしよう

おすすめの記事