
家事に育児に、夫の最適化理論に振り回されながらも、笑って泣いて乗り越えてきた20年。
主人公・たみが綴るのは、ちょっとズレてるけど憎めない夫・タダシと、元気いっぱいの息子たちとの日々。おにぎりの形に悩み、味噌汁の塩加減にツッコミ、家計と感情を同時にやりくりするたみの奮闘は、どこか私たち自身の物語でもある。
こちらの物語からの続きになります。
育児と百ます計算
今では、タロウ(10歳)もジロウ(8歳)も、自分のことは自分でできるようになり、母・たみは少しだけ自由を手に入れた。洗濯物の山に埋もれることも減り、朝の支度も「靴下どこー!」の叫びがなくなっただけで、人生の幸福度はぐんと上がった。
でも、あの頃の記憶は、たみの心にしっかりと刻まれている。
タロウが生まれたばかりの頃。たみは、喜びと同時に「育児って。こんなに体力使うの!?」と驚愕。夜中の授乳、頻繁なおむつ交換、哺乳瓶の消毒。まるで24時間営業の小さな工場。
その隣で、夫・タダシは「ぐぅ」と熟睡。まるで育児非対応型の家電のように、一度も夜中に起きることはなかった。
「この哺乳瓶、消毒済みですか?」と誰かに聞いてほしい夜もあった。
次男・ジロウが生まれた時は、さらにレベルアップ。ジロウが泣いても、タダシは無表情で自室にこもり、まるで感情労働回避モードに入ったかのよう。
「彼は今、育児の非効率性を最小化しているのだろう」と、たみは自分に言い聞かせた。
でも、心の中では「ちょっとは泣いてる赤ちゃんに反応してよ!」と叫びたかった。
そんなタダシにも、ひとつだけ情熱を注ぐ分野があった。それは教育。
図書館から借りてきた百ます計算の問題集を、タロウに熱心に教える姿は、まるで家庭内塾講師。
「ことわざかるたは、語彙力と倫理観の基礎だ」と言いながら、何度も読み聞かせ。
たみは思った。「この人、育児はスルーするのに、教育には全力投球なのね。
たみは、いつしか「子どもたちのことは、私が守る」と決めていた。期待しないことで、心の安定を保っていた。
でも最近、ふと気づいた。
タロウが九九をスラスラ言えるようになったのも、ジロウがことわざを使って「油断大敵だよ、ママ」と言うようになったのも、あの教育熱心な技術者の影響かもしれない。
そして、ある日。ジロウが寝る前に言った。
「パパが読んでくれた情けは人のためならずって、ママにも当てはまるね。ママががんばったから、ぼくたち元気なんだよ」
その言葉に、たみはちょっとだけ泣きそうになった。
タダシは今でも、育児の感情部分にはちょっと不器用。でも、彼なりの方法で、子どもたちに関わっていたのだと思う。
たみは、あの頃の疲労も無力感も、今では家族が育つための通過点だったと思えるようになった。
そして今日も、リビングではタダシが「ジロウ、百ます計算のタイムが落ちてるぞ」と言いながら、ストップウォッチを握っている。
たみは笑いながら、そっとつぶやいた。
「まあ、これも我が家流の愛のかたちってことで」
夢と計算のディズニー大冒険!
「明日はディズニーランドだよ!」
タロウとジロウは、前夜からテンションMAX。布団の中でも「ミッキーに会ったらどうする?」「スペースマウンテンって宇宙まで行くの?」と、夢の国の予習に余念がない。
母・たみはその様子を見ながら、心の中でそっとガッツポーズ。「よし、明日はおにぎりで勝負だ!」と、夜明け前のキッチンで奮闘。形はちょっといびつでも、愛情と具材はぎっしり。卵焼きとウインナーも、家族の笑顔を思い浮かべながら焼き上げた。
午前6時半、いざ出発。首都高に入ると、すでに車の海。運転担当のタダシは、地図と標識を頼りに、渋滞の波を縫うように進む。
助手席のたみには見えた。タダシの頭の中に浮かぶ「移動時間 vs 燃料消費率グラフ」。彼の几帳面さが、今日もフル稼働中だ。
「この交差点、右折の方が平均時速が高いな」
「えっ、今の誰に話してるの?」とたみが笑うと、タダシは照れくさそうに「いや、ちょっと計算してただけ」とつぶやいた。
午前11時過ぎ、ついに舞浜へ到着。駐車場の列も長かったけれど、見えてきたシンデレラ城に、車内の疲れが一気に吹き飛ぶ。
パーク内では、タダシがアトラクションの待ち時間を計算しながら、家族の動線を最適化。
「この列、進行速度が遅いな。でも、子どもたちが楽しそうだからOK!」と、珍しく計算より笑顔を優先。
レストランのメニューに目を丸くした一家。そこでタダシが提案。
「たみのおにぎり、今こそ出番だね!」
パークの片隅で広げたレジャーシート。おにぎり、卵焼き、ウインナー。子どもたちは「ママ、最高!」と叫び、タダシも「この梅干し、絶妙だ」と感動。
テーマパークの喧騒を遠くに聞きながら、家族だけの静かな幸せがそこにあった。
夕方のパレードはまさに圧巻。ミッキーが手を振るたび、タロウとジロウの瞳は星のように輝く。
タダシも「これは。想像以上だな」と、感動のあまり計算を忘れて拍手。
たみはそっとつぶやいた。「来てよかったね」
タダシは照れくさそうに「うん」とだけ返した。
帰りの車内は、みんなぐったり。でもそれは、楽しい一日を全力で過ごした証。
タダシは静かにハンドルを握りながら、「次はもっと効率よく回れるな」とつぶやく。
たみは助手席で微笑む。「でも、今日の非効率が、最高の思い出になったね」
タダシはちょっとだけ笑って、「それも、計算外だったな」と言った。
そしてその日以来、我が家では「ディズニーランド再訪計画」が、タダシのExcelにこっそり保存されているらしい。
最適化された家族時間
タダシは昔から最新ガジェット愛好家だった。アンテナがついた携帯電話や、冷蔵庫サイズのデスクトップパソコンを、惜しげもなく買い替えていた。
月に一度、東京出張から帰ってくると、数日後には玄関に巨大段ボールが現れる。中身はもちろん、新しいパソコン。たみは「また来たか」とつぶやきながら、段ボールを開けるタダシの目がキラキラしているのを見て、ちょっとだけ笑ってしまう。
最近は、会社支給の携帯電話を使い倒すことに意義があると語るようになった。たみは、それはそれでエコだし、いいことよねと思っていた。
ただし問題は、その携帯を四六時中見ていることだった。
食事中も、テレビを見ているときも、タダシの視線は常に画面に釘付け。まるで光る小宇宙に吸い込まれているようだった。
「なんで携帯ばっかり見てるの?」とたみが聞くと、タダシは「いや、ちょっと気になるデータがあって」と答える。気になるデータって、何?と聞きたいけれど、たみはもう慣れていた。
ある晩、タロウが「パパ、算数の宿題教えて!」と声をかけた。タダシは一瞬だけ顔を上げたものの、すぐに携帯の画面に戻り、「うん、後でね」と言った。
タロウはがっかりした顔で、たみの方を見た。たみはそっとタダシの画面を覗いた。そこには、無数の記号や数字。まるで宇宙語。たみは思った。「この人、今どこにいるの?」
でもその夜、ちょっとした奇跡が起きた。
タロウが自分で宿題を終えたあと、タダシがふと「タロウ、さっきの問題、見せてくれる?」と声をかけた。タロウはびっくりしながらも、ノートを差し出した。
「この計算、工夫したね。時間短縮できてる。すごいぞ」
タロウはニコッと笑った。
その瞬間、たみは気づいた。タダシは、携帯の画面の向こうで効率を追いかけていたけれど、家族の中でも最適化を探していたのかもしれない。
そして最近、タダシの携帯には家族カレンダーアプリが入っている。たみがこっそり入れたのだが、タダシは何も言わず、毎朝それを見て「今日はジロウの図工の日か」とつぶやいている。
たみは、ちょっとだけ嬉しくなった。
今でもタダシは携帯をよく見ている。でも、たみはもう「なんで携帯ばかり見てるの?」とは聞かない。
だって、最近のタダシの画面には、タロウの宿題写真や、ジロウの工作動画が保存されているから。
たみは思う。「この人なりの愛のかたち、ちょっとだけ見えてきたかも」
そして今日も、リビングではタダシが携帯を見ながら「ジロウの作品、いいね。構造がしっかりしてる」とつぶやいている。
たみは笑って言った。
「パパ、今度は家族最適化アプリでも作ってみたら?」
タダシはちょっとだけ照れくさそうに、「それ、いいかも、でも、ムリ」と答えた。
肉じゃがとちょっとしたズレ
カチャカチャと皿の音が、夕暮れのキッチンに響く。肉じゃがの甘い香りが「今日の主役は私よ」と言わんばかりに漂っている。
リビングでは、タロウとジロウがゲームに夢中。その向こうから、夫・タダシののんびりした声が聞こえてきた。
「ねえ、たみ。今日の晩御飯、外食にしない?」
たみの手がぴたりと止まる。振り返ると、タダシはソファに体を預け、テレビのリモコンをカチャカチャ。その無邪気な一言は、たみの肉じゃがへの情熱をまるっとスルーしたようだった。
「準備する手間、考えたことある?」
タダシは「ごめんごめん。でも、たみも大変だろうから、たまには外でゆっくりするのもいいかなって」と言う。
その、たみも大変だろうからという言葉が、たみの神経をちょっと逆撫で。気遣いのようで、結局は自分の都合優先。まるで気遣い風味の自己中心だ。
「なあ、たみ。来月から転勤になったんだ」
突然の長野転勤。あと2週間。引っ越し準備、転校手続き、役所の書類。たみは家庭内総務部長としてフル稼働。タダシは「大変だね」と言うだけ。その、ね、が、たみの心に響かない。
しかもタダシは、外出時に財布を持たない。外食になれば、当然のようにたみの財布が登場。家計の苦しさは、たみの電卓が一番よく知っている。
「たみ、これ見て!薄型テレビ、32インチが8万円だって!安くない?」
タダシは、安いという言葉に反応する特性を持つ。過去にはPHS契約、外貨取引、そして家計補填という家庭内経済ドラマを繰り広げてきた。
たみは、そんなタダシのブーム乗っかり癖を見るたびに、心の中で「またか」とつぶやいていた。
その日の晩御飯は、肉じゃがと煮魚。食後、洗い物をしていると、風呂上がりのタダシが言った。
「なあ、たみ。今度の週末、みんなで遠足に行かないか?」
「準備、誰がすると思ってるの?」
たみの声は、冷蔵庫よりも冷たかった。
「ほら、お弁当とか、一緒に作ってもいいし」
その、一緒にという言葉が、たみの怒りの導火線に着火。今まで一度でも台所に立ったことがあったか?と、たみは過去の未参加記録を思い出す。
そして、転勤、PHS、外貨取引、外食の話が一気に噴き出し、たみの涙がこぼれた。
タダシは、ようやく事の重大さに気づいたようで、「た、たみ、ごめん」と言った。
でも、たみの心には響かない。何度も聞いた言葉だから。
翌朝、たみはいつも通り朝食を作っていた。リビングからは、タロウとジロウの元気な声。タダシはまだ夢の中。
フライパンの火を消し、たみは深く息を吸い込んだ。
「よし」
その一言には、ちょっとした決意が込められていた。
何をするかはまだ決まっていない。でも、たみは思った。
「このままじゃ、もったいない。うちの家族、もっと面白くなるはず!」
そしてその日、たみは家族再起動計画をノートに書き始めた。
- 週末遠足は実行。ただし、タダシにおにぎりを握らせる。
- 家計会議を開催。タロウが司会、ジロウがタイムキーパー。
- 台所当番をローテーション制に。タダシには味噌汁係を任命。
たみは笑った。
「うん、これならいける。うちの家族、まだまだ伸びしろだらけだわ」
そして今日も、肉じゃがの香りがキッチンに漂っている。今度は、タダシが「じゃがいも、皮むいてみようかな」と言い出した。
たみは、ちょっとだけ驚いて、そして笑った。
「パパ、ついに台所デビューね。じゃ、次は煮魚担当、いってみようか」
卒業式と沈黙夫
長野の空は、朝からしとしと雨模様。鉛色の雲が広がる中、今日は長男・タロウの高校卒業式。
母・たみの心も、空と同じくちょっと曇り気味。「もう卒業かぁ」と、感慨と不安が入り混じる。
卒業式の一週間前、たみが夫・タダシに伝えると、意外にも「午前中だけでも休みを取って出席する」との返事。
そのだけでも、という言い方に、たみはちょっとだけ眉をひそめたが、まあ来てくれるならよしとする。
当日、タダシは無言でたみの荷物を持ってくれた。その手のひらのぬくもりが、なぜかちょっと距離を感じさせる。体育館では、隣に座ってもやっぱり沈黙。まるで静寂型夫婦の見本。
ふと、タロウが高校に入学した頃の携帯電話論争を思い出す。
「携帯を持っていない生徒が多いのだから、必要ないだろう」
タダシの多数派=正義理論は、タロウの「公衆電話ないし!」という叫びにも揺るがなかった。
結局、たみはタダシに内緒で携帯を渡した。タダシは気づいていたけど、例によって無言でスルー。
たみは思った。「この人、沈黙でいろんなことを処理するタイプなのね」
式が終わり、タロウを待つ時間。タダシがぽつりと言った。
「今日はあいにくの天気だったね」
たみは「そうね」とだけ返す。沈黙が、夫婦の空気のように漂う。
そこへ、タロウが友人たちと笑顔で登場。「来たんだ」と言って、ちょっと驚いたような顔。
タダシは「おめでとう」と言いながら、控えめに手を挙げた。たみは「その手、もうちょっと高く挙げてもいいのよ」と心の中でツッコむ。
タロウは友人たちと再会の約束を交わし、またすぐに離れていった。
「もう、親の手を離れていくんだなぁ」と、たみはしみじみ。
帰りの車内。タロウは後部座席でスマホを操作。タダシは運転に集中。会話は少なめ。
たみがふと聞いた。「ねぇ、タロウが卒業して、どう思う?」
タダシは「そうだな。大きくなったな、って思うよ」とだけ答えた。
たみは思った。「それだけかい!」とツッコミたい気持ちと、「でも、まあ、それなりに感慨はあるのね」とちょっとだけほっこり。
そしてその夜、タロウが夕食後に言った。
「パパ、大学行ったらバイトして、パパにスマホの使い方教えてあげるよ」
タダシは「えっ、俺、使えてるよ?」と反論。
たみは「LINEの既読スルー率、100%だけどね」と笑った。
タロウは「じゃあ、卒業記念に家族LINEグループ作ろう!」と提案。
ジロウも「スタンプ送る係やる!」と張り切る。
タダシは「じゃあ俺は、グループ名考える係!」と宣言。
たみは「それ、最初だけじゃない?」と笑いながら、スマホを取り出した。
そしてその夜、我が家に「タロウ卒業記念☆家族LINE」が誕生した。
グループ名は、タダシ命名の「チーム・肉じゃが」。
たみは思った。
「沈黙も悪くないけど、たまにはスタンプで会話するのもいいかもね」
タダシの背中と家族の未来
夜。タロウの部屋から、友人と話す声が微かに聞こえてくる。
母・たみは、ふと19歳の頃を思い出す。住み込みの仕事で体力の限界を迎え、腫瘍が見つかって退職。新婚旅行もキャンセル。あの頃の体はボロボロだった。
そして今。夫・タダシは相変わらずストイック道まっしぐら。自分にも他人にも厳しく、負けず嫌いで、何でも一番を目指す家庭内オリンピック選手。
たみは思う。「私は20年間、この人の基準に合わせて走ってきたなぁ」
風邪で寝込んでも「大丈夫か?」の一言だけ。家事代行サービスは、タダシの辞書には載っていない。
会社ではカップ麺と菓子パン。家では健康管理無視。
ある日、洗濯物をたたんでいて、タダシのシャツのウエストが拡張工事済みになっていることに気づく。
「太ったな」と、たみは心の中でつぶやく。
千年の恋も、シャツのサイズで冷めることがある。
でも、たみは思い直す。「まあ、私も最近、チョコレートの誘惑に負けてるし。お互い様かもね」
タロウ21歳、ジロウ19歳。子どもたちは自立目前。
その一方で、タダシは無報酬活動王として、フリマ、清掃、地域イベントにフル出場。
「将来のために」と言いながら、家計はギリギリ。
たみは思う。「その将来って、誰の将来なのよ?」
でも、ある日。タロウが言った。
「パパ、町内のイベントで司会やってたよ。めっちゃウケてた。友達もあの人、面白いねって言ってた」
ジロウも「パパ、清掃活動のあとに、みんなに飴配ってた。タダシ飴って呼ばれてたよ」と笑う。
たみは、ちょっとだけ笑ってしまった。
「なんなの、そのタダシ飴って」
ある朝。たみが朝食を作っていると、タダシがキッチンに現れた。
「たみ、今日の夕飯、俺が作ってみようかな。レシピ、教えてくれる?」
たみは、フライパンを持ったまま固まった。
「えっ。今、なんて言った?」
「俺、最近ちょっと太ったし。健康的な食事、覚えたいんだ。あと、たみの負担も減らしたいし」
たみは、思わず吹き出した。
「じゃあ、まずは味噌汁からね。具はタダシ飴以外でお願い」
その夜、タダシが作った味噌汁は、ちょっとしょっぱかったけど、家族みんなで笑いながら食べた。
タロウは「パパ、料理も最適化しようとしてるの?」
ジロウは「次は煮魚チャレンジだね!」と盛り上がる。
たみは、タダシの背中を見ながら思った。
「この人、やっぱり不器用だけど家族のこと、ちゃんと考えてるんだな」
そして、たみはそっとつぶやいた。
「まあ、うちの家族は最適化よりお笑い化の方が向いてるかもね」











