澄江の若いころからの物語です。澄江が聞く達人になるまでには数々の出来事がありました。今回は、なにがあったのかをまとめました。
少女のころ
澄江がまだ小学生だった頃、家はいつも忙しかった。父は港で働き、母は内職をしながら三人の子どもを育てていた。家の中には、いつも急いでいる音があった。澄江は学校であったことを話したくて、帰ってくると母のそばに座った。
「今日ね、学校でね」
母は手を止めずに言う。
「はいはい。で、結局どうしたと」
その言葉が返ってくるたびに、胸の奥がしゅっと冷たくなった。話したいことは、要点なんてない。ただ聞いてほしいだけだった。その日、澄江は布団の中で思った。
(大人になったら、誰かの話をちゃんと聞ける人になりたい)
その願いは、まだ幼い心の奥にそっと沈んだままだった。
中学のころ
中学生になった頃、澄江は家でほとんど話さなくなった。ある日、友達と喧嘩をして、胸が苦しくてたまらなかった。家に帰って母に声をかけた。
「今日ね、学校で」
母は振り返らずに言った。
「ご飯できとるけん、先に食べて」
その瞬間、澄江の中で何かがすっと閉じた。その夜、布団の中で泣いた。声を押し殺して。翌日、国語の先生が澄江を呼び止めた。
「澄江さん、最近元気がないね」
「別に」
「別に、の中に何があるのか、聞かせてくれないかな」
その言葉は、澄江がずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。気づけば、友達との喧嘩のこと、家のこと、自分でも整理できていない気持ちを話していた。先生は一度も遮らなかった。話し終えると、先生は言った。
「話してくれてありがとう」
その瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
(聞いてもらえるって、こんなに安心するんだ)
この体験が、澄江の人生を変えた。
職場で
高校を卒業し、澄江は地元の会社に就職した。仕事は忙しく、覚えることも多かった。ある日、後輩の女性が泣きながら相談に来た。
「澄江さん、私、仕事向いてないかもしれません」
澄江は、あの日の先生のように、ただ黙って聞いた。後輩は、
- 自分の失敗、
- 不安、
- 家の事情まで、
ぽつりぽつりと話し始めた。澄江は一度も口を挟まなかった。話し終えると、後輩は涙を拭きながら言った。
「聞いてくれて、ありがとうございます。誰にも言えなかったんです」
その言葉に、澄江は気づいた。
(私は、聞くことで誰かを救えるのかもしれない)
その日、澄江は心の中で決めた。私は、誰かの話を最後まで聞ける大人になろう。
母になる
結婚して大輔が生まれたとき、澄江はひとつだけ決めていた。大輔が話し始めたら、どんなに忙しくても手を止めること。大輔はよく話す子だった。
「あのね、あのね」
澄江は笑いながら聞いた。
「そうかい。それでどうなったと」
大輔は嬉しそうに話し続けた。
(聞いてもらえると、子どもは話したくなるんだ)
その確信は、澄江の中でゆっくりと根を張っていった。
夫
澄江の夫は、寡黙な人だった。仕事で疲れて帰ってくると、黙って酒を飲む。澄江は何度も話しかけたが、夫は短く返すだけだった。ある夜、澄江は言った。
「今日ね、ちょっと嫌なことがあって」
夫はラジオから耳を離さずに言った。
「そうか」
その一言で、胸の奥がすっと冷えた。
(ああ、私は母と同じことをされているんだ)
その瞬間、澄江は決めた。私は、誰かをこんな気持ちにさせる大人にはならない。
子ども
大輔が大きくなるにつれ、澄江はますます、聞くことを大切にした。大輔が反抗期に入り、家で荒れた日もあった。
「うるさいな」
「ほっといてよ」
そんな言葉を浴びても、澄江は怒らなかった。ただ静かに言った。
「話したくなったら、いつでも言いな」
数日後、大輔はぽつりと話し始めた。
「今日さ、学校でさ」
澄江は黙って聞いた。その夜、大輔は言った。
「ばあちゃん、聞いてくれてありがとう」
その言葉は、澄江の人生の宝物になった。
達人
澄江が、聞く達人と呼ばれるようになったのは、大輔が結婚し、悠斗が生まれてからだった。家族が困っていると、澄江はふらりと現れた。竹の棒を持って聞く道場を開いたり、黙って隣に座ったり、ただ一言だけ言ったり。
「話したくなったら、いつでも言いな」
その姿は、若い頃の澄江が、誰かに言ってほしかった言葉そのものだった。澄江は、自分が欲しかった大人に、自分自身がなっていた。

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