聞いてるつもり③

聞いてるつもり③ 全記事
聞いてるつもり③

澄江の若いころからの物語です。澄江が聞く達人になるまでには数々の出来事がありました。今回は、なにがあったのかをまとめました。

少女のころ

澄江がまだ小学生だった頃、家はいつも忙しかった。父は港で働き、母は内職をしながら三人の子どもを育てていた。家の中には、いつも急いでいる音があった。澄江は学校であったことを話したくて、帰ってくると母のそばに座った。

「今日ね、学校でね」

母は手を止めずに言う。

「はいはい。で、結局どうしたと」

その言葉が返ってくるたびに、胸の奥がしゅっと冷たくなった。話したいことは、要点なんてない。ただ聞いてほしいだけだった。その日、澄江は布団の中で思った。

(大人になったら、誰かの話をちゃんと聞ける人になりたい)

その願いは、まだ幼い心の奥にそっと沈んだままだった。

中学のころ

中学生になった頃、澄江は家でほとんど話さなくなった。ある日、友達と喧嘩をして、胸が苦しくてたまらなかった。家に帰って母に声をかけた。

「今日ね、学校で」

母は振り返らずに言った。

「ご飯できとるけん、先に食べて」

その瞬間、澄江の中で何かがすっと閉じた。その夜、布団の中で泣いた。声を押し殺して。翌日、国語の先生が澄江を呼び止めた。

「澄江さん、最近元気がないね」

「別に」

「別に、の中に何があるのか、聞かせてくれないかな」

その言葉は、澄江がずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。気づけば、友達との喧嘩のこと、家のこと、自分でも整理できていない気持ちを話していた。先生は一度も遮らなかった。話し終えると、先生は言った。

「話してくれてありがとう」

その瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。

(聞いてもらえるって、こんなに安心するんだ)

この体験が、澄江の人生を変えた。

職場で

高校を卒業し、澄江は地元の会社に就職した。仕事は忙しく、覚えることも多かった。ある日、後輩の女性が泣きながら相談に来た。

「澄江さん、私、仕事向いてないかもしれません」

澄江は、あの日の先生のように、ただ黙って聞いた。後輩は、

  • 自分の失敗、
  • 不安、
  • 家の事情まで、

ぽつりぽつりと話し始めた。澄江は一度も口を挟まなかった。話し終えると、後輩は涙を拭きながら言った。

「聞いてくれて、ありがとうございます。誰にも言えなかったんです」

その言葉に、澄江は気づいた。

(私は、聞くことで誰かを救えるのかもしれない)

その日、澄江は心の中で決めた。私は、誰かの話を最後まで聞ける大人になろう。

母になる

結婚して大輔が生まれたとき、澄江はひとつだけ決めていた。大輔が話し始めたら、どんなに忙しくても手を止めること。大輔はよく話す子だった。

「あのね、あのね」

澄江は笑いながら聞いた。

「そうかい。それでどうなったと」

大輔は嬉しそうに話し続けた。

(聞いてもらえると、子どもは話したくなるんだ)

その確信は、澄江の中でゆっくりと根を張っていった。

澄江の夫は、寡黙な人だった。仕事で疲れて帰ってくると、黙って酒を飲む。澄江は何度も話しかけたが、夫は短く返すだけだった。ある夜、澄江は言った。

「今日ね、ちょっと嫌なことがあって」

夫はラジオから耳を離さずに言った。

「そうか」

その一言で、胸の奥がすっと冷えた。

(ああ、私は母と同じことをされているんだ)

その瞬間、澄江は決めた。私は、誰かをこんな気持ちにさせる大人にはならない。

子ども

大輔が大きくなるにつれ、澄江はますます、聞くことを大切にした。大輔が反抗期に入り、家で荒れた日もあった。

「うるさいな」

「ほっといてよ」

そんな言葉を浴びても、澄江は怒らなかった。ただ静かに言った。

「話したくなったら、いつでも言いな」

数日後、大輔はぽつりと話し始めた。

「今日さ、学校でさ」

澄江は黙って聞いた。その夜、大輔は言った。

「ばあちゃん、聞いてくれてありがとう」

その言葉は、澄江の人生の宝物になった。

達人

澄江が、聞く達人と呼ばれるようになったのは、大輔が結婚し、悠斗が生まれてからだった。家族が困っていると、澄江はふらりと現れた。竹の棒を持って聞く道場を開いたり、黙って隣に座ったり、ただ一言だけ言ったり。

「話したくなったら、いつでも言いな」

その姿は、若い頃の澄江が、誰かに言ってほしかった言葉そのものだった。澄江は、自分が欲しかった大人に、自分自身がなっていた。

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