長崎の坂の町に、澄江が生まれたのは昭和三十年代のことだった。家の窓を開けると、海の匂いが風に乗って流れ込んでくる。幼い澄江は、その匂いが好きだった。家は決して裕福ではなかった。父は港で働き、母は内職をしながら三人の子どもを育てていた。家の中はいつも忙しく、誰かが何かを急いでいた。
澄江の若いころ
澄江は、よく話す子だった。学校であったこと、友達のこと、先生のこと。帰ってくると、母のそばに座って話し始めた。けれど、母はいつも手を止めなかった。
「はいはい。で、結局どうしたと」
その言葉が返ってくるたびに、澄江の胸の中で、話したい気持ちが少しずつしぼんでいった。
中学生になった頃、澄江はほとんど家で話さなくなった。母は相変わらず忙しく、父は疲れて帰ってきては黙って酒を飲んだ。ある日、学校で友達と喧嘩をした。胸が苦しくて、涙が止まらなくて、家に帰ると、母の背中に向かって声をかけた。
「お母さん、今日ね」
母は振り返らずに言った。
「ご飯できとるけん、先に食べて」
澄江は、そこで話すのをやめた。食卓に座りながら、胸の奥がぎゅっと縮むような気がした。
(話したかっただけなのに)
その夜、布団の中で泣いた。誰にも聞こえないように、声を押し殺して。
聞いてくれた人
高校に入った頃、澄江はある先生と出会った。国語の女性教師で、いつも静かに微笑んでいる人だった。ある日、授業のあとに呼び止められた。
「澄江さん、最近、元気がないね」
その言葉に、胸の奥が揺れた。
「別に」
そう答えたのに、先生は席をすすめた。
「別に、の中に何があるのか、聞かせてくれないかな」
その言葉は、澄江がずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。気づけば、友達との喧嘩のこと、家のこと、自分でも整理できていない気持ちを話していた。先生は一度も遮らなかった。まとめようともしなかった。ただ、最後まで聞いてくれた。話し終えると、先生は静かに言った。
「澄江さん。話してくれてありがとう」
その瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
(聞いてもらえるって、こんなに安心するんだ)
その日から、澄江は少しずつ変わり始めた。
高校を卒業し、澄江は地元の会社に就職した。忙しい毎日だったが、同僚の悩みを聞くのが自然と上手くなっていった。ある日、後輩の女性が泣きながら相談に来た。
「澄江さん、私、仕事向いてないかもしれません」
澄江は、あの日の先生のように、ただ黙って聞いた。後輩は話し終えると、涙を拭きながら言った。
「聞いてくれて、ありがとうございます」
その言葉に、澄江は気づいた。
(私は、聞くことで誰かを救えるのかもしれない)
その日、澄江は心の中で決めた。私は、誰かの話を最後まで聞ける大人になろう。あの日、先生がしてくれたように。
母になり、祖母になる
結婚し、大輔が生まれた。子育ては大変だったが、澄江はひとつだけ決めていた。大輔が話し始めたら、どんなに忙しくても手を止めること。大輔はよく話す子だった。
毎日「あのね、あのね」と話しかけてきた。澄江は笑いながら聞いた。
「そうかい。それでどうなったと」
大輔は嬉しそうに話し続けた。
(聞いてもらえると、子どもは話したくなるんだ)
その確信は、祖母になった今も変わらない。悠斗の話を聞くとき、澄江はいつもあの日の先生を思い出す。そして思う。聞くというのは、相手の世界にちょっとだけ入れてもらうことなんだ。

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