部屋が驚くほどスッキリした。信介は思った。(物を捨てると、心も軽くなるんだな)。恵子が言った。「信介、いい顔してるよ」「抜けてる顔か?」「抜けてるけど、いい顔よ」信介は笑った。「まあ、なんとかなるわ」
ゆるく生きる
ある日の夕方。信介が長岡駅前のベンチで缶コーヒーを飲んでいると、美咲がゆっくり歩いてきた。走ってこない。息も切れていない。いつもより落ち着いている。
「パパ、聞いてほしいことがあるの」
「火事か?」
「違うってば」
美咲は照れくさそうに笑った。
「この前の先輩とね、ご飯行ってきた」
「ほう」
「なんかね、頑張らなくていい感じで、すごく楽だった」
信介はうなずいた。
「頑張らんでいい相手は、だいたい当たりだて」
「うん。私もそう思った」
美咲は少し照れながら言った。
「パパの抜き方、ちょっと見習ってみたら、恋愛も人生も、前より軽くなった気がする」
信介は笑った。
「それはよかった」
美咲は信介の肩に頭を乗せた。
「パパ、ありがとう」
信介は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
ある日、長岡市の市民センターから電話が来た。
「信介さん、ぜひ、人生の抜き方について話してほしいんです」
「俺が?」
「はい。最近、若者の間でなんとかなるおじさんとして人気でして」
(なんとかなるおじさん)
信介は苦笑した。
「まあ、いいですよ。話すだけなら」
こうして、信介のゆるい講演会が開かれることになった。
当日。市民センターの小ホールには、若者から年配まで、幅広い人が集まっていた。松田、美代子、高志、春江も最前列に陣取っている。美咲と恵子も来ていた。信介はマイクの前に立ち、深呼吸した。
「今日は、私が60歳を過ぎて気づいたことを話します」
会場が静まり返る。
「人生は戦い続けるものじゃない。楽しみながら進むものだと思うんです」
信介はゆっくり続けた。
「頑張ることは大事です。でも、力みすぎると疲れます。だから、抜き方を知ることが大事なんです」
会場の人々がうなずく。
「白黒つけない。人と比べない。無理に好かれようとしない。深刻にならない。そしてなんとかなると思う」
信介は笑った。
「根拠はなくていいんです。過去もなんとかなった。未来もたぶんなんとかなる。それくらいでちょうどいい」
会場に柔らかい笑いが広がる。
「幸せは勝つことよりご機嫌でいること。今日くらいは肩の力を抜いて、自分に優しくしてあげてください」
静かな拍手が、じわりと広がった。
講演が終わると、若者が信介に声をかけた。
「信介さん。僕、今日初めて頑張らなくていいんだって思えました」
信介は笑った。
「頑張りたいときだけ、頑張ればいいんだわ」
「はい。なんか、救われました」
若者は深々と頭を下げた。信介は胸の奥が温かくなるのを感じた。(俺のゆるさ誰かの役に立つんだな)
講演会の帰り道。信介は長岡駅前のベンチに座り、夜空を見上げた。美咲が隣に座る。
「パパ、今日の話、すごくよかったよ」
「そうか?」
「うん。なんかね。パパが抜いて生きてきた理由が、やっとわかった気がする」
信介は笑った。
「理由なんてないよ。ただ、抜いた方が楽だっただけだて」
美咲は肩を寄せた。
「でもね、パパみたいに生きられたら、人生もっと楽しいかも」
信介は空を見上げた。
(人生は戦いじゃない。楽しむものだ)
長岡の夜風が、信介の肩の力をそっと抜いていった。
翌朝。信介はいつものように、長岡駅前のベンチで缶コーヒーを開けた。
「さて。今日は、何しようかな」
予定はない。でも、それがいい。松田からメッセージが来た。
「信介、今日ヒマか?」
「ヒマだて」
「じゃあ、寺泊で海鮮食うぞ」
「了解」
美代子からも来た。
「信介、今日1ミリ進んだ?」
「進んだ気がする」
高志からも来た。
「嫌われても気にすんなよ」
「気にしてない」
春江からも来た。
「深刻にならんでね」
「ならん」
信介は笑った。
(なんとかなるわ)
長岡の朝日が、ゆっくりと街を照らしていた。
AIラジオ「この記事の解説」


コメント