母を誤解して半世紀。長崎の坂道から始まるちょっと不器用な親孝行
母を誤解して半世紀。長崎の坂道から始まるちょっと不器用な親孝行

長崎の坂の上で育った信夫は、幼い頃から母・信江のことを料理が下手で、叱ってばかりで、ちょっと自慢が多い人だと思っていた。兄弟に囲まれたにぎやかな幼少期、中学受験で家族の形が変わっていく思春期、東京へ逃げるように進学した青年期、そして親の老いと向き合う中年期。信夫はずっと、母との距離を縮められずにいた。


坂の町のちいさな戦争

長崎の坂の上に、信夫の家はあった。家族は五人。2歳上の兄・勇(いさむ)、4歳下の妹・光子(みつこ)、10歳下の弟・巧(たくみ)、そして母・信江と、単身赴任が多い父・隆(たかし)。にぎやかというより、いつも誰かが泣いているか怒っているかの家だった。

信夫がまだ保育園に入る前、家の中で最も激しい戦場は「車のおもちゃ」だった。兄の勇と信夫が、たった一台の赤い車をめぐって毎日バトルを繰り広げる。勇が「これは俺のや!」と叫べば、信夫も負けじと「昨日は兄ちゃんが使ったやろ!」と応戦する。最終的には、どちらかが泣き、どちらかが母に怒られ、車はタイヤが取れかける。それが日常だった。

母・信江は、いつも不機嫌そうだった。父・隆が鉄工所の仕事で単身赴任していたせいもある。朝から晩まで子ども三人を相手にし、家事をし、近所の坂を上り下りし、さらに信夫と勇のケンカを仲裁する。そりゃあ、眉間にシワも寄る。

信夫は、母に叱られた記憶ばかりが残っている。
「こら信夫!また勇ばケンカしたとね!」
「光子の面倒ば見んね!」
「なんで牛乳飲まんとね!」
怒られるたびに、信夫は「母ちゃんは俺のこと嫌いなんじゃなかろうか」と本気で思っていた。

それに、信夫だけ母と同じ漢字で名前をつけられたのもイヤだった。それで母は自分の分身としての信夫を厳しくしつけていたのだろうと考えていた。

けれど、そんな信夫にもヒーローになった瞬間がある。

ある日、妹の光子が子ども用自転車のチェーンに指を挟んで大泣きした。信江は慌てふためき、勇はオロオロするばかり。そのとき信夫はふと気づいた。

(逆に回したら、外れるんじゃなかろうか)

子どもながらに妙に冷静だった。光子の人差し指はチェーンとギアの間にはさまったままだ。チェーンの回転方向を間違えると人差し指はちぎれてしまうだろう。

しばらく考えたのちペダルを逆方向に回すと、チェーンはゆるみ、光子の指はすぽんと抜けた。光子は泣き止み、信江は「信夫、あんた、すごかね」と珍しく褒めてくれた。

その一言が、信夫の胸にずっと残る。けれど、褒められた記憶よりも、叱られた記憶のほうが圧倒的に多いのが悲しいところだ。

信夫には、もっと古い記憶もある。乳児のころ、母乳を飲んでいるときに、ふとこう思った。

(この乳首、かみ切ったらどうなるんやろ)

実行しようとした瞬間、信江が「痛っ!」と叫んで引き離した。そのときの母の顔があまりにも怖くて、信夫はそれ以来、牛乳が嫌いになった。母乳から牛乳へという自然な流れを断ち切ったのは、ほかでもない自分だった。

保育園に通うようになると、兄とのケンカは減り代わりに妹の光子とよく遊ぶようになった。しかし遊んでは泣かされるのは決まって信夫のほうだった。光子は見た目こそ小さくてかわいいが、気が強く泣き声の破壊力は兄弟随一だった。

兄の勇とは、子ども部屋を秘密基地に見立てて家出の練習をしたこともある。押し入れに毛布を敷き、乾パンの代わりにビスケットを持ち込み、「ここで一晩過ごせたら、俺たちは自由や!」と勇が宣言する。しかし、30分も経たないうちに信江の怒号が飛んでくる。

「勇!信夫!どこ隠れとっとね!ご飯食べんね!」

自由への挑戦は、毎回あっけなく終わった。

そんな日々の中で、信夫は少しずつ母を好きになれない自分を育てていった。叱られた記憶ばかりが積み重なり、母の笑顔はどこか遠いものに感じられた。

けれど後になって思えば、あの家はいつも騒がしくて、誰かが泣いて、誰かが怒って、誰かが笑っていた。貧しくても、坂の上の家には、確かに家族の音があった。

信夫はまだ知らない。この騒がしい日々が、後にどれほど愛おしい記憶になるのかを。

家族ドライブと、ちいさな逃避願望

信夫が小学校に上がったばかりの頃、家族でよく出かけた公園があった。市内でも有名な大きな公園で、広場には正方形の石がタイルのように敷き詰められていた。父・隆と母・信江は、その石畳をゆっくり散歩するのが好きだった。

しかし、子ども三人にとっては、散歩など退屈の極みである。そこで始まるのが、恒例のじゃんけんレースだった。

「最初はぐー!じゃんけんぽん!」
勝った子は「ちよこれいと」「ぱいなつぷる」「ぐりこ」といいながら前へ進む。

石畳の上を、三人がバラバラになる。勇は勝負にこだわり、光子は途中で飽きて花を摘み、信夫はなぜか毎回、勇の「ぱいなつぷる」で大きく遅れる。そのたびに信江が「信夫、もっと真剣にせんね!」と叱るので、遊びなのか修行なのか分からなくなる。

それでも、この公園へのドライブは、信夫にとって家族らしい時間だった。父が運転し、母が助手席で静かに言葉を発し、後部座席では三人がぎゅうぎゅうに押し合いながら笑いあっていた。その光景は、信夫の中で宝物のように残っている。

しかし、兄の勇が中学受験の準備に入ると、家族での外出は急に減った。公園も、気づけば思い出の中にしまわれていった。まだ弟の巧は生まれていない頃の話だ。

夏休みになると、家族は必ず温泉旅行に出かけた。といっても、信夫にとっては修行に近かった。

なぜなら、彼はとんでもなく車酔いする体質だったからだ。

出発して10分で青ざめ、20分で無言になり、30分で限界が来る。そして、後部座席で「うっ」となるたびに、信江の怒号が飛ぶ。

「信夫!また吐いたとね!なんで毎回毎回!」
「いや、俺も好きで吐きよるわけじゃ」
「もう!タオルばちゃんと持っときんしゃい!」

温泉に着く頃には、信夫はすでに湯あたりしたような顔になっていた。それでも、温泉に浸かると不思議と元気が戻り、帰りの車でまた同じことを繰り返す。これが毎年の恒例行事だった。

小学校高学年になると、信夫はある本に出会う。レ・ミゼラブルだ。その中のコゼット。

(あれ?なんか俺に似とる)

母に叱られ、兄に置いていかれ、妹に泣かされる日々。信夫は勝手に自分は家の中のコゼットだと思い込むようになった。もちろん、家にジャベール警部はいないし、母は宿屋の女将ほど悪辣ではない。ただ、子ども心に僕は不遇だと思いたかったのだ。

そんな中、兄の勇は見事に県内の有名私立中学へ合格した。中高一貫で寮生活があるため、家に帰ってくるのは年に数回。兄がいなくなると、家の中は急に静かになった。

信夫は、兄の背中を見送りながら思った。

(兄ちゃん、自由になったんやな)

そして、胸の奥で小さな火が灯る。

(俺も、いつか家から離れたい)

その思いは、まだ幼い願望にすぎなかったが、後に信夫の人生を大きく動かす最初の芽になっていく。

家を出る理由、出られない理由

兄の勇が県内の有名私立中学へ進学したあと、家の中は急に静かになった。その静けさは、信夫にとって自由ではなく、取り残された感のほうが強かった。

兄と同じ中学に入学した信夫は、入学早々、現実を思い知らされる。小学校では成績トップだったのに、中学ではいきなり最下位。テストが返ってくるたびに、信夫は答案用紙の点数を二度見し、三度見し、最後は裏返して机に押しつけた。

(なんでこんなにできんとや。俺、前世で何か悪いことしたんか)

そんな信夫を、担任の先生はなぜか気に入ってくれた。
「信夫くんはね、根はいい子なんよ。根だけはね」
と、なぜか根だけを強調する。

期末テストのたびに、母・信江は学校に呼び出される。三者面談では、担任が深刻な顔で言う。

「お母さん、信夫くんは、その、根はいいんですけどね」

信江はため息をつき、信夫はうつむき、帰り道はだいたい無言。家に着くと、信江の説教が始まる。

「勉強しなさい」
「早く寝なさい」
「なんで宿題ばせんとね」

生活の基本に関することばかりだが、信夫にはそれが人格否定に聞こえてしまう。

(母ちゃんにも原因があるんよ。それを分かってほしかとに)

しかし、そんなことを言えるはずもなく、信夫は黙って布団に潜り込む。その布団の中で、ひそかに決意する。

(いつか絶対、家を出る)

高校に進んでも成績は相変わらず最下位付近をさまよい続けた。そんな信夫に担任の先生がある日ひそひそ声で言った。

「信夫くん。特別推薦って知っとる?」
「なんですか、それ」
「成績が悪い子の最後の手段よ。君にぴったりやん」

褒められているのか貶されているのか分からないが、信夫は飛びついた。成績ではなく人柄で推薦される枠らしい。つまり、学力ではなく、根がいいことが評価されたのだ。

こうして信夫は、東京の大学へ進学することになった。学力ではなく、逃避心が彼を東京へ連れていった。

大学に入ると、母が学校に呼び出されることはなくなった。信夫は年に1〜2回だけ帰省する。帰省の理由はただひとつ。

(仕送りの交渉ばせんといかん)

帰省すると、信江は近所の人に言いふらす。

「信夫が帰ってきたとよ」
「東京の大学に行っとるとよ」

信夫はそのたびに、心の中で叫ぶ。

(母ちゃん、現実ば盛りすぎやろ!)

東京の大学といっても、特別推薦で滑り込んだギリギリの大学である。しかし、信江にとっては東京というだけで十分なブランドだった。

信夫は、母の誇らしげな顔を見るたびに複雑な気持ちになる。嬉しいような恥ずかしいような逃げ出したいような。

それでも母は変わらず信夫を気にかけ、信夫は変わらず母を疎ましく思い、その距離は縮まるどころか、むしろ少しずつ広がっていった。

ただ、信夫はまだ知らない。その距離が、後に埋めようのない溝になることを。

遠く離れて近くなれない親子

信夫は大学を卒業するとそのまま東京の会社に就職した。就職した理由は給料でも仕事内容でもなく、ただひとつ。

(長崎に戻ったら、また母ちゃんの生活指導が始まるけん)

逃げるように東京へ残った、と言ったほうが正しい。

やがて結婚もした。しかし、結婚式に両家の家族を呼ばなかったのは、少し事情があった。

妻と母・信江の折り合いが、どうにも悪かったのだ。

信江は、息子の結婚相手に対して妙に厳しい。
「どこの家の子ね」「料理はできるとね」「信夫のこと、ちゃんと見てくれるとね」
と、まるで面接官のように質問攻めにする。

妻は妻で、信江の長崎式の愛情を敏感に察知していた。その結果、結婚式は二人だけの静かなものになった。

信江は60歳のとき、股関節の手術をした。片足ずつの手術だったため、市民病院で長期療養することになった。

「痛か。痛か。」
電話の向こうで、信江はよくそう言った。

70代後半になると、今度は肋骨を何本も折った。咳をするだけで激痛が走るらしく、電話の声も弱々しい。

それでも、病院でもらった薬は飲まずに取っておく。もったいない精神が骨の髄まで染みついているのだ。

ある年の冬、信夫が風邪をひいたとき、実家から小包が届いた。中には、色あせた薬袋がぎっしり。

「これ、よく効くけん。飲みんしゃい」
とメモが添えられていた。

信夫は思わずつぶやく。

「母ちゃん、それ、何年前の薬ね」

信夫はたまに帰省した。しかし、妻も子どもたちも連れて帰ったことはない。

信江が妻の家族のことをよく言わなかったからだ。妻もそのことに気づいていた。だから、帰省はいつも信夫ひとり。

実家に帰ると、信江は相変わらずのわがまま全開モードになる。

「信夫、あれ取ってきて」
「信夫、これ開けて」
「信夫、テレビの音が小さか」
「いや、母ちゃんが小さく聞こえとるだけやろ」

信夫は苦笑しながら、言われるがまま動く。

一方、父・隆はというと、どこか遠慮がちに家の隅で新聞を読んでいる。単身赴任が長かったせいか、家の中での存在感が薄い。信江の指示はすべて信夫に飛び、父にはほとんど向けられない。

(父ちゃんも大変やな)

そう思いながら、信夫は父にだけは優しく声をかける。

「父ちゃん、元気しとった?」
「おう。まあ、ぼちぼちや」

二人でこっそり缶ビールを開け、短い時間だけ男同士の休戦時間を楽しむ。その時間が、信夫にとっては帰省の中で唯一ほっとできる瞬間だった。

2〜3日の滞在を終え、東京へ戻る新幹線の中で、信夫はいつも同じことを思う。

(母ちゃんは、俺を必要としとるようで、してないようで)

距離は離れているのに、心の距離は近づかない。近づかないのに、完全に離れることもできない。

そんな、ややこしい親子関係が、信夫の胸にずっと居座り続けていた。

老いていく親と取り残される息子の気持ち

信夫が60歳になった年の5月連休、久しぶりに長崎へ帰省した。新幹線を降りると、潮の匂いと湿った風が懐かしく迎えてくれる。しかし、胸の奥にはどこか重いものがあった。

両親はすでに後期高齢者。父・隆は毎月1回、母・信江は毎週病院に通っているという。自家用車は父が75歳のときに廃車にし免許も返納した。

「もう運転は危なかけんね」と父は笑って言ったが、
その裏には、かつての事件があった。

父がまだ車を運転していた頃、運転中に脳梗塞を発症したのだ。助手席にいた信江は、どうしていいか分からず、とりあえず弟や妹に電話をかけまくったらしい。

「もしもし!父ちゃんが、なんか。なんか変とよ!」
「なんが変ね?」
「なんか、変とよ!」

説明になっていない。

結局、弟が駆けつけてくれて、父は病院へ運ばれた。10年のリハビリを経て、今ではひとりで散歩にも出られるようになった。

信夫はその話を聞きながら、胸がちくりと痛んだ。

(俺は何もしとらん)

東京で仕事をし、家族を持ち、年に数回帰省するだけ。その間に、弟や妹は両親の病院の送り迎えをし、兄も近くに住んで何かあれば駆けつけている。

信夫だけが遠くにいた。

帰省すると父はいつものようにスマホを持ってくる。

「信夫、このアプリのパスワードなんやったか」
「知らんよ父ちゃん。俺が設定したんじゃなかとよ」
「そうやったか。じゃあなんで忘れたんやろか」

父の謎の自信は健在だった。

別の日には、補聴器のチラシ広告を持ってくる。

「注文したんやけど、荷物が届かん」
「父ちゃん、それ注文ボタン押しとらんよ」
「なんで押しとらんのやろか」
「知らんて」

そんなやり取りをしながら、信夫は父の老いを実感する。

一方、母・信江はというと、信夫に特別な依頼をしてくるわけではない。

「信夫、買い物に連れてって」
「ATM寄ってくれんね」

そんな日常の用事だけだ。

(母ちゃん、俺には特別なことは頼まんとね)

そう思うと、少し寂しいような、ほっとするような、不思議な気持ちになる。

父と母の老いは確実に進んでいる。兄も妹も弟も、すぐ近くにいて支えている。信夫だけが、遠くから見ているだけだ。

帰省の最後の夜、父がぽつりと言った。

「信夫、お前が帰ってきてくれると家が明るくなるな」

その言葉に、信夫は返事ができなかった。胸の奥がじんわり熱くなり、同時にふがいなさが押し寄せてくる。

(俺は何をしとるんやろ)

東京へ戻る新幹線を待つ間、キオスクの冷蔵庫に映る自分の顔は、どこか疲れていてどこか迷っていた。

老いていく親と距離のある息子。その距離は、近いようで遠く、遠いようで近い。信夫はその狭間で揺れ続けていた。

母を許す日、母に感謝する日

信夫が60歳になった頃、東京での仕事は責任が重くなる一方だった。部長という肩書きは立派だが、実際は人間関係の調整役のようなものだ。部下の悩み、上司の愚痴、取引先の無茶ぶり。そのすべてが信夫の机の上に積み上がっていく。

そんな信夫の逃げ場が行きつけのバーだった。カウンターの向こうには10年来の付き合いになるママ・直美がいる。

直美はただのママではない。信夫にとっては、仕事も家庭も人生も相談できる、いわばメンターのような存在だった。

ある夜、信夫はふと、母・信江の話をした。料理が下手なこと。自慢話が多いこと。スーパーで手前取りをしないこと。そして、若い頃からずっと信夫に厳しく当たってきたこと。

「どうしょうもない母親ですよ」
信夫は苦笑しながらグラスを回した。

直美は少し驚いたように目を細めた。

「信夫さんのお母さま素敵な方じゃない」

「え?どこがですか」

「だって、いまもあなたのことを大切に思っていらっしゃるもの」

信夫は、思わずグラスを置いた。

「大切に?ですか」

「そうよ。今度、買い物に行くときにね、お菓子をひとつ、かごに入れてみてさしあげて。これも買ってって言ったら、きっと喜ばれるわ。そのお菓子、もしいらなかったら、あとで私がいただいてもいいわよ」

その言葉は、信夫の胸にすっと染み込んだ。

(母ちゃんが俺を大切に?)

信夫の中で、長年固まっていた母親像が、ゆっくりと形を変えていく。

これまで信夫は、母が自分に厳しく当たり、欲しくないものを押し付け、自慢ばかりするのは、自分を困らせたいからだと思っていた。

でも、直美の言葉を聞いた瞬間、その思い込みが音を立てて崩れた。

(あれは全部、愛情やったんか)

母の料理が下手だったのは、忙しい中で必死に作ってくれたから。

自慢話が多かったのは、息子を誇りに思っていたから。

手前取りをしないのは、新しいものを家族に食べさせたいという母なりの気遣いだったのかもしれない。

信夫は、はっとした。

(俺はずっと誤解しとったんやな)

胸の奥がじんわりと熱くなる。長年のわだかまりが、ゆっくりと溶けていく。

時間が解決したのかもしれない。直美の言葉が背中を押したのかもしれない。どちらでもよかった。ただひとつ、確かなことがあった。

(母ちゃん、ありがとう)

その言葉が、自然と心の中に浮かんだ。

翌月、信夫は帰省した。スーパーで母の買い物かごに、そっと小さな袋菓子を入れた。

「母ちゃん、これも買って」

信江は一瞬きょとんとしたあと、子どものように嬉しそうに笑った。

「信夫、あんた、こんなん食べるんね、しょうもなかね」

その笑顔を見た瞬間、信夫は思った。

(ああ、俺は、ずっと愛されとったんやな)

そして、心の中でそっとつぶやいた。

「お母さん、ありがとう」

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