🌿このシャツ、誰かの人生を変えるかもしれない—古着屋開業ストーリー

「この物件、駅から徒歩5分で、日当たりもいいですよ」
かつて、彼はそう言って鍵を差し出していた。
スーツにネクタイ、名刺を差し出す手は慣れていたけれど、心のどこかにぽっかりと穴が空いていた。
そんな彼が、ある日ふと立ち寄った古着屋で、人生が変わった。
この物語は、元不動産営業マンが「服を通して人とつながる」ことに気づき、古着屋を始めるまでの小さな再出発の記録です。
もしあなたが「今の仕事に違和感がある」「本当にやりたいことが分からない」と感じているなら、きっと何かヒントになるはずです。


駆け出し

「ケンタさんって、なんで古着屋始めたんですか?」

お客さんにそう聞かれることがある。たしかに、今の僕からは想像しづらいかもしれない。だけど僕は、もともと不動産屋だった。大学を出てすぐ、瀬戸内住販という会社に入社して、1年目で宅建に合格。中古マンションを売る営業として、広島の街を走り回っていた。

最初の数年は、正直しんどかった。電話しても断られるし、飛び込み営業なんて門前払いが当たり前。だけど、ある時期から少しずつコツがつかめてきた。モデルルームを開いて土日だけで見込み客を集める方法にシフトしていったのだ。そして、もっと大切なのは、物件の魅力を伝えるよりも、お客さんの話を聞くことのほうが大事だという気づき。その頃から、成績が伸び始めた。

35歳のとき、営業成績も安定して、会社でもそれなりに認められていた。脂がのっていた、ってやつだ。だけど、ふとした瞬間に思ったんだ。

「このまま、ずっとこの仕事を続けるのかな?」

その問いが、頭から離れなくなった。別に会社が嫌だったわけじゃない。人間関係も悪くなかったし、給料もそこそこ。でも、何かが足りなかった。自分の中で、何かが空っぽだった。

それで、辞めた。勢いだったと言えばそうかもしれない。でも、あのときの僕には、勢いしかなかった。何かを変えたくて、何かを始めたくて、古着屋をやることにした。

屋号は「ダットサン」。昔の車の名前だけど、響きが好きだった。ちょっとレトロで、ちょっと無骨で、でもなんだか愛嬌がある。そんな店にしたかった。

試練

古着屋をやると決めたとき、まず考えたのは「どこでやるか」だった。広島市の東雲(しののめ)という町に、ちょうど空き店舗があった。間口一間、家賃15万円。決して広くはないけれど、通りに面していて、なんとなく風通しのいい場所だった。

屋号は「ダットサン」。昔の車の名前だけど、僕にとっては懐かしさと遊び心の象徴だった(広島の街でダットサンはないだろうという反対もあったのですが)。古着って、誰かの時間をまとってるものだと思う。だから、ちょっと古くて、でも愛嬌のある名前がよかった。

改装には1200万円かかった。壁を抜いて、床を張り替えて、照明を入れて、什器を揃えて……気づけば、貯金の大半が消えていた。だけど、不思議と不安はなかった。むしろ、ワクワクしていた。自分の店ができるって、こんなに楽しいんだなって。

開店してからの7か月間は、正直言って地獄だった。売上は月に5万円程度。家賃にも届かない。仕入れは大量にしていたけど、何を並べればいいのか、どれが売れるのか、まったくわからなかった。

それでもやってこれたのは、貯金があったから。あと、毎日店に立ってると、少しずつ見えてくるものがあった。たとえば、月に6回くらい来てくれるお客さんがいた。ある日、思い切って聞いてみた。

「どうして、そんなに来てくださるんですか?」

その人は笑って言った。

「品ぞろえがいいからですよ」

その言葉が、僕の中で何かを変えた。大量に仕入れて、なんとなく並べていた商品たち。でも、僕が「これはいい」と思ったものだけを並べたら、どうなるんだろう?

信頼してもらうため必要な見返り

「品ぞろえがいいからですよ」

あの一言が、僕の中でずっと響いている。

月に6回も来てくれるお客さんが、そう言ってくれた。正直、驚いた。だって、僕はまだ古着屋の目利きなんて言えるほどの経験もなかったし、仕入れも手探りだった。大量に仕入れて、その中からなんとなく並べていた。値段も、雰囲気も、全部が曖昧だった。

でも、その言葉を聞いてから、少しずつ考え方が変わった。

「自分が良いと思うものだけを並べよう」

それは、怖い決断だった。売れるかどうかもわからないし、仕入れた中には「これ、売れるかも」と思っていたものもあった。でも、誰かの顔色をうかがって並べるより、自分の目を信じてみようと思った。

それからは、仕入れのときも、店頭に並べるときも、「これは自分が好きか?」「これは誰かのお気に入りになるか?」と問いかけるようになった。ジーンズもTシャツも、ただ古いだけじゃなく、どこかに物語があるものを選んだ。

すると、不思議なことに、固定客が少しずつ増えていった。

「この店、なんか落ち着くんですよね」 「ケンタさんの選ぶ服、好きです」

そんな言葉をもらうようになった。売上が急に伸びたわけじゃない。でも、店に立つのが楽しくなった。誰かが、自分の選んだものを手に取ってくれる。それが、こんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。

自分をさらけ出すこと

古着屋を始めてから、ずっと「どうやって売るか」ばかり考えていた。商品の並べ方、値札の付け方、SNSの使い方。でも、ある時ふと気づいた。

「僕自身のことって、あまり話してないな」

それまでは、店主として無色透明でいようとしていた。商品が主役で、僕は裏方。だけど、常連さんと話しているうちに、少しずつ変わっていった。

「この店、いつ開店されたんですか?」 「前はどんなお仕事されてたんですか?」

そんな質問を受けるたびに、少しずつ話すようになった。

「不動産屋だったんですよ。中古マンションを売ってました」 「開店には1200万円かかりました。改装に思った以上にお金がかかって…」 「趣味は釣りです。海も川も好きで、よく一人で行きます」

自慢するつもりはなかった。ただ、聞かれたことに答えただけ。でも、話してみると、意外とお客さんは喜んでくれる。

「へぇ〜、そんな経歴だったんですね」 「釣り、いいですね。私も好きです」

そんな会話が、商品以上に店の空気をあたためてくれた。僕が何者かを知ってもらうことで、服にもケンタの選んだものという意味が乗るようになった気がする。

さらけ出すって、ちょっと怖い。でも、さらけ出したぶんだけ、誰かが近づいてくれる。それは、売上とは別の価値だった。

幸せって何だろう

「このTシャツ、ケンタさんが選んだんですよね?」

ある日、常連のお客さんにそう言われた。なんでもない一言だったけど、僕にとってはすごく嬉しかった。

古着屋を始めた頃は、商品がすべてだと思っていた。どれだけレアか、どれだけ状態がいいか、どれだけ安く仕入れられるか。でも、少しずつわかってきた。商品だけじゃなくて、誰が選んだかが大事なんだって。

僕が選んだ服を、僕の話を聞いた人が買ってくれる。それは、ただの売買じゃなくて、ちょっとした信頼のやりとりだった。

「ケンタさんの店って、なんか落ち着くんですよね」 「服もいいけど、話すのが楽しいです」

そんな言葉をもらうようになって、店の空気が変わっていった。僕自身が、店の一部になっていった。商品棚の隅に、ちょっとした人間味が混ざるようになった。

もちろん、僕は有名人でもカリスマ店主でもない。ただの元不動産屋で、釣りが好きな39歳。でも、そんな僕に会いに来てくれる人がいる。それって、すごいことだと思う。

人につく固定客って、言葉にすると簡単だけど、実際には時間がかかる。さらけ出して、話して、聞いて、また話して。その繰り返しの中で、少しずつ育っていく。

気づき

ある日、店の片隅でジーンズを畳みながら、ふと思った。

「僕は、何を売ってるんだろう?」

古着屋だから、もちろん服を売っている。でも、それだけじゃない気がした。ジーンズもTシャツも、誰かの時間をまとっている。そして、それを選んだ僕自身にも、時間がある。過去がある。物語がある。

不動産屋だった頃は、数字と成果がすべてだった。売上、契約件数、社内評価。でも今は、誰かがまた来ますねと言ってくれるだけで、心が満たされる。

売上が安定し始めた頃、ある常連さんが言ってくれた。

「ケンタさんの店って、服を買いに来るというより、なんか元気をもらいに来てる感じなんですよね」

その言葉を聞いたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。

僕は、誰かの役に立っている。僕自身が、誰かにとっての価値になっている。

それって、神様がそっと教えてくれたことのような気がする。大げさかもしれないけど、あの7か月間の赤字も、迷いも、さらけ出す勇気も、全部が気づきへの道だった。

神様は、派手な奇跡を起こすわけじゃない。だけど、僕たちが自分の価値に気づく瞬間を、そっと用意してくれている。気づくかどうかは、自分次第。

僕は、古着屋「ダットサン」の店主、ケンタ39歳。

自分を売り込むことで、服が売れた。服が売れることで、自分の価値を知った。

そして今、誰かのお気に入りになれることが、何よりの喜びだった。

古着屋を始めて考えたこと

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

ケンタの物語は、私自身の経験をもとにしていますが、きっと誰の中にも「自分の価値って何だろう?」と問いかける瞬間があると思います。

商売でも、人間関係でも、人生の節目でも——自分をさらけ出すことは怖い。でも、その先にしか見えない景色がある。私はそれを、古着屋の片隅で見つけました。

この物語は、今年、アルゼンチンから来た人懐っこい若者リョウマさんと、近所の古着屋さんに行ったとき思いつきました。私の気づきがあなたの気づきにもなれば嬉しいです。また次の物語で、お会いしましょう。

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