長岡駅前のベンチ。信介は缶コーヒーを開け、空を見上げていた。「さて。今日もなんとかなるわ」すると、スーツ姿の男性がふらふらと近づいてきた。40代半ば、ネクタイが曲がり、目の下にはクマ。どう見ても疲れ切った会社員だ。
仕事に疲れた
「すみません。あなたがなんとかなるおじさんですか?」
(またその呼び名か)
信介は苦笑した。
「まあ、そう呼ばれてるらしいな」
男性は深々と頭を下げた。
「相談、聞いてください。もう限界なんです」
「火事か?」
「火事じゃありません、仕事です」
男性は田村(45歳)と名乗った。
「私、もう仕事に疲れました。毎日毎日、会議、資料、クレーム、上司の説教。帰ったら倒れるように寝て。朝起きたらまた仕事」
信介はうなずいた。
「それは疲れるわ」
「ですよね!でも、周りはもっと頑張れって言うんです。努力が足りない気合いが足りないって」
信介は缶コーヒーをすすった。
「田村さん、気合いで仕事が回るのは20代までだて」
田村は目を丸くした。
「え?」
「40代は気合い入れたら腰痛めるだけだわ」
田村は吹き出した。
「確かに、最近ぎっくり腰になりました」
「ほらな」
信介は言った。
「田村さん、仕事はな、頑張るところと抜くところを分けんと続かん」
「抜く?」
「そうだて。全部全力でやろうとするから疲れるんだわ」
田村は眉をひそめた。
「でも、手を抜いたら怒られません?」
「怒られる仕事は抜かんでいい。怒られん仕事から抜けばいい」
「そんな簡単にいわれても」
「簡単でいいんだわ。難しくすると続かん」
田村は深呼吸した。
「抜くって、どうやるんですか?」
信介は指を折りながら言った。
「まずは」
- 完璧を目指さない
- まあいいかを口癖にする
- 嫌な仕事は後でやるに回す
- 頼める仕事は人に頼む
- 昼休みはちゃんと休む
- 残業は必要最低限
「これでいい」
田村は目を潤ませた。
「そんな働き方、したことないです」
「じゃあ、今日からすればいい」
しばらく沈黙したあと、田村はぽつりと言った。
「本当は、仕事が嫌いなわけじゃないんです」
信介はうなずいた。
「ほう」
「ただ、頑張りすぎる働き方が嫌なんです」
信介は笑った。
「それが本音だて」
田村は続けた。
「でも、周りが頑張ってると、自分も頑張らなきゃって思ってしまって」
「田村さん、人と比べる働き方は一番疲れるんだわ」
田村はハッとした顔をした。
「確かに」
「昨日の自分より1ミリ楽になってたら、それで十分だて」
田村は深くうなずいた。田村は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「信介さん。私、今日から抜いて働く練習をします」
「それが一番だて」
「なんとかなる気がしてきました!」
信介は缶コーヒーを掲げた。
「なんとかなるわ」
田村は軽やかな足取りで去っていった。(さっきまでのゾンビみたいな顔はどこ行ったんだ)
田村が見えなくなると、信介はベンチにもたれた。(仕事も人生も、力を抜いた方がうまくいくんだわ)長岡の風が、信介の頬を優しく撫でた。
「さて。今日もなんとかなる一日だったわ」
信介は立ち上がり、ゆっくりと家路についた。
子育てに疲れた
長岡駅前のベンチ。信介は缶コーヒーを開け、空を見上げていた。
「さて。今日もなんとかなるわ」
すると、ベビーカーを押した女性が近づいてきた。髪はボサボサ、目の下にはクマ。ベビーカーの中の赤ちゃんは元気に泣いている。
「すみません。あなたがなんとかなるおじさんですか?」
(またその呼び名か)
信介は苦笑した。
「まあ、そう呼ばれてるらしいな」
女性は深々と頭を下げた。
「相談、聞いてください、もう限界なんです」
「火事か?」
「火事じゃありません、子育てです」
女性は沙織(33歳)と名乗った。
「私、もう疲れました。寝ても起きても子ども、子ども、子ども。ご飯作っても投げられるし、片付けても散らかされるし、抱っこしても泣くし、抱っこしなくても泣くし」
信介はうなずいた。
「それは泣くわ」
「ですよね!でも、周りは子育ては幸せな時間だよとか言うんです。全然幸せじゃない日もあるのに」
信介は缶コーヒーをすすった。
「沙織さん、子育ては幸せ8割・地獄2割じゃない。地獄8割・幸せ2割だて」
沙織は吹き出した。
「ですよね!」
「その2割の幸せで、なんとか続けてるんだわ」
信介は言った。
「沙織さん、子育てはな、頑張るところと抜くところを分けんと続かん」
「抜く?」
「そうだて。全部全力でやろうとするから疲れるんだわ」
沙織は眉をひそめた。
「でも手を抜いたらダメな母親って思われません?」
「思われても死なん」
「えっ」
「死なんし、子どもも死なん」
沙織は笑った。
「そんなふうに言われたの初めてです」
信介は続けた。
「それはな」
- ご飯は冷凍食品でいい
- 掃除は見えるところだけでいい
- 泣いてる理由がわからなくてもいい
- イライラしたら深呼吸して逃げていい
- 完璧な母親を目指さなくていい
「これで十分だて」
沙織は目を潤ませた。
「そんな母親でもいいんですか」
「いいよ。完璧な母親より、笑ってる母親の方が子どもは安心する」
沙織はハッとした顔をした。しばらく沈黙したあと、沙織はぽつりと言った。
「本当は、もっと自分の時間がほしいんです」
信介はうなずいた。
「それが本音だて」
「でも。。自分の時間をほしいなんて、母親失格じゃないかって思ってしまって」
信介は笑った。
「母親失格じゃない。人間として普通だて」
沙織は涙をこぼした。
「普通、なんですね」
「普通だて。自分の時間がないと、子どもにも優しくできん」
沙織は深くうなずいた。そのとき、ベビーカーの赤ちゃんが急に泣き止み、信介をじーっと見つめた。そしてにっこり笑った。沙織が驚いた。
「えっ?この子、初めて会った人に笑うなんて!」
信介は肩をすくめた。
「赤ちゃんはな、力が抜けてる大人が好きなんだわ」
「そんなことあるんですか?」
「あるよ。赤ちゃんは、緊張してる大人には近づかん」
赤ちゃんは信介に手を伸ばした。沙織は呆然とした。
「この子、パパにもこんな顔しないのに」
「パパは頑張りすぎてるんだわ」
「確かに」
沙織は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「信介さん。私、今日から抜いて育てる練習をします」
「それが一番だて」
「なんとかなる気がしてきました!」
信介は缶コーヒーを掲げた。
「なんとかなるわ」
沙織は赤ちゃんを抱き、軽やかな足取りで去っていった。赤ちゃんは信介に向かって手を振った。(赤ちゃんにまで伝染するとは。俺のゆるさ、恐るべしだな)
沙織が見えなくなると、信介はベンチにもたれた。(子育ても人生も、力を抜いた方がうまくいくんだわ)長岡の風が、信介の頬を優しく撫でた。
「さて。今日もなんとかなる一日だったわ」
信介は立ち上がり、ゆっくりと家路についた。


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