長岡の風⑥

長岡の風⑥ 職場・家族
長岡の風⑥

長岡駅前のベンチ。信介は缶コーヒーを開け、空を見上げていた。「さて。今日もなんとかなるわ」すると、スーツ姿の男性がふらふらと近づいてきた。40代半ば、ネクタイが曲がり、目の下にはクマ。どう見ても疲れ切った会社員だ。

仕事に疲れた

「すみません。あなたがなんとかなるおじさんですか?」

(またその呼び名か)

信介は苦笑した。

「まあ、そう呼ばれてるらしいな」

男性は深々と頭を下げた。

「相談、聞いてください。もう限界なんです」

「火事か?」

「火事じゃありません、仕事です」

男性は田村(45歳)と名乗った。

「私、もう仕事に疲れました。毎日毎日、会議、資料、クレーム、上司の説教。帰ったら倒れるように寝て。朝起きたらまた仕事」

信介はうなずいた。

「それは疲れるわ」

「ですよね!でも、周りはもっと頑張れって言うんです。努力が足りない気合いが足りないって」

信介は缶コーヒーをすすった。

「田村さん、気合いで仕事が回るのは20代までだて」

田村は目を丸くした。

「え?」

「40代は気合い入れたら腰痛めるだけだわ」

田村は吹き出した。

「確かに、最近ぎっくり腰になりました」

「ほらな」

信介は言った。

「田村さん、仕事はな、頑張るところと抜くところを分けんと続かん」

「抜く?」

「そうだて。全部全力でやろうとするから疲れるんだわ」

田村は眉をひそめた。

「でも、手を抜いたら怒られません?」

「怒られる仕事は抜かんでいい。怒られん仕事から抜けばいい」

「そんな簡単にいわれても」

「簡単でいいんだわ。難しくすると続かん」

田村は深呼吸した。

「抜くって、どうやるんですか?」

信介は指を折りながら言った。

「まずは」

  • 完璧を目指さない
  • まあいいかを口癖にする
  • 嫌な仕事は後でやるに回す
  • 頼める仕事は人に頼む
  • 昼休みはちゃんと休む
  • 残業は必要最低限

「これでいい」

田村は目を潤ませた。

「そんな働き方、したことないです」

「じゃあ、今日からすればいい」

しばらく沈黙したあと、田村はぽつりと言った。

「本当は、仕事が嫌いなわけじゃないんです」

信介はうなずいた。

「ほう」

「ただ、頑張りすぎる働き方が嫌なんです」

信介は笑った。

「それが本音だて」

田村は続けた。

「でも、周りが頑張ってると、自分も頑張らなきゃって思ってしまって」

「田村さん、人と比べる働き方は一番疲れるんだわ」

田村はハッとした顔をした。

「確かに」

「昨日の自分より1ミリ楽になってたら、それで十分だて」

田村は深くうなずいた。田村は立ち上がり、深々と頭を下げた。

「信介さん。私、今日から抜いて働く練習をします」

「それが一番だて」

「なんとかなる気がしてきました!」

信介は缶コーヒーを掲げた。

「なんとかなるわ」

田村は軽やかな足取りで去っていった。(さっきまでのゾンビみたいな顔はどこ行ったんだ)

田村が見えなくなると、信介はベンチにもたれた。(仕事も人生も、力を抜いた方がうまくいくんだわ)長岡の風が、信介の頬を優しく撫でた。

「さて。今日もなんとかなる一日だったわ」

信介は立ち上がり、ゆっくりと家路についた。

子育てに疲れた

長岡駅前のベンチ。信介は缶コーヒーを開け、空を見上げていた。

「さて。今日もなんとかなるわ」

すると、ベビーカーを押した女性が近づいてきた。髪はボサボサ、目の下にはクマ。ベビーカーの中の赤ちゃんは元気に泣いている。

「すみません。あなたがなんとかなるおじさんですか?」

(またその呼び名か)

信介は苦笑した。

「まあ、そう呼ばれてるらしいな」

女性は深々と頭を下げた。

「相談、聞いてください、もう限界なんです」

「火事か?」

「火事じゃありません、子育てです」

女性は沙織(33歳)と名乗った。

「私、もう疲れました。寝ても起きても子ども、子ども、子ども。ご飯作っても投げられるし、片付けても散らかされるし、抱っこしても泣くし、抱っこしなくても泣くし」

信介はうなずいた。

「それは泣くわ」

「ですよね!でも、周りは子育ては幸せな時間だよとか言うんです。全然幸せじゃない日もあるのに」

信介は缶コーヒーをすすった。

「沙織さん、子育ては幸せ8割・地獄2割じゃない。地獄8割・幸せ2割だて」

沙織は吹き出した。

「ですよね!」

「その2割の幸せで、なんとか続けてるんだわ」

信介は言った。

「沙織さん、子育てはな、頑張るところと抜くところを分けんと続かん」

「抜く?」

「そうだて。全部全力でやろうとするから疲れるんだわ」

沙織は眉をひそめた。

「でも手を抜いたらダメな母親って思われません?」

「思われても死なん」

「えっ」

「死なんし、子どもも死なん」

沙織は笑った。

「そんなふうに言われたの初めてです」

信介は続けた。

「それはな」

  • ご飯は冷凍食品でいい
  • 掃除は見えるところだけでいい
  • 泣いてる理由がわからなくてもいい
  • イライラしたら深呼吸して逃げていい
  • 完璧な母親を目指さなくていい

「これで十分だて」

沙織は目を潤ませた。

「そんな母親でもいいんですか」

「いいよ。完璧な母親より、笑ってる母親の方が子どもは安心する」

沙織はハッとした顔をした。しばらく沈黙したあと、沙織はぽつりと言った。

「本当は、もっと自分の時間がほしいんです」

信介はうなずいた。

「それが本音だて」

「でも。。自分の時間をほしいなんて、母親失格じゃないかって思ってしまって」

信介は笑った。

「母親失格じゃない。人間として普通だて」

沙織は涙をこぼした。

「普通、なんですね」

「普通だて。自分の時間がないと、子どもにも優しくできん」

沙織は深くうなずいた。そのとき、ベビーカーの赤ちゃんが急に泣き止み、信介をじーっと見つめた。そしてにっこり笑った。沙織が驚いた。

「えっ?この子、初めて会った人に笑うなんて!」

信介は肩をすくめた。

「赤ちゃんはな、力が抜けてる大人が好きなんだわ」

「そんなことあるんですか?」

「あるよ。赤ちゃんは、緊張してる大人には近づかん」

赤ちゃんは信介に手を伸ばした。沙織は呆然とした。

「この子、パパにもこんな顔しないのに」

「パパは頑張りすぎてるんだわ」

「確かに」

沙織は立ち上がり、深々と頭を下げた。

「信介さん。私、今日から抜いて育てる練習をします」

「それが一番だて」

「なんとかなる気がしてきました!」

信介は缶コーヒーを掲げた。

「なんとかなるわ」

沙織は赤ちゃんを抱き、軽やかな足取りで去っていった。赤ちゃんは信介に向かって手を振った。(赤ちゃんにまで伝染するとは。俺のゆるさ、恐るべしだな)

沙織が見えなくなると、信介はベンチにもたれた。(子育ても人生も、力を抜いた方がうまくいくんだわ)長岡の風が、信介の頬を優しく撫でた。

「さて。今日もなんとかなる一日だったわ」

信介は立ち上がり、ゆっくりと家路についた。

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