成人式

スピーチ 性格
スピーチ
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愛媛県今治市。しまなみ海道の心地よい潮風が吹き抜ける街に、喜多村衛(きたむらまもる:37)の絶叫が響き渡った。「だーかーらー!言わんこっちゃない!最初から毎日1ページずつ計画立ててやりなさいって、パパは7月の時点で言ったでしょ!」

夏休み

8月31日の夜10時。リビングのテーブルには、ほぼ白紙の「夏休みの友」と、半泣きでシャーペンを握る小学5年生の息子・陸(りく)の姿があった。妻のこずえはキッチンで、大量の麦茶を沸かしながら「また今年もやってるわ」と遠い目をしている。

衛の言うことは1ミリも間違っていなかった。完全に正論だ。しかし、この正論攻めは今年で3年連続、まったく同じシチュエーションで繰り返されていた。衛が「そっちじゃない、こっちだ」「先に漢字をやれ、計算は後だ」と先回りして正解を教えれば教えるほど、陸は「どうせパパが言う通りにすればいいんでしょ」と言わんばかりに、自分で考えることをやめていくようだった。

数日後、小学校の参観日。衛は陸の担任であるベテランのベジタブル系熱血教師・木原先生に、廊下で呼び止められた。

「喜多村さん、陸くんのことで少し。陸くん、授業中に、先生、これでいいですか?って、ほんの些細なことでも毎回確認しにくるんです。間違えるのを極端に怖がっているというか。大人の顔色を伺って、指示待ちになってしまう傾向があるんですよ」

衛は胸がドクンとした。

「あ。家で、僕が口を出しすぎているせいでしょうか。良かれと思って、正しいやり方をいつも教えているんですが」

木原先生は優しく微笑んだ。

「正論は時に、子どもの思考を止める麻酔になっちゃうんです。自分で決めて失敗するくらいなら、大人の言う通りにしておいた方が安全だと学習しているのかもしれませんね。逆に、家でたくさん失敗させてもらっている子は、間違えても『じゃあ次はこうしよう』って自分でパッと切り替えられるんですよ。頭の良さじゃなくて、失敗してもいい環境があるかどうかの差です」

口出し禁止

帰り道、衛は車を運転しながら深く考え込んでいた。良かれと思って放っていた自分の正論が、陸の考えるスイッチをオフにしていたのだ。

「よし、一回、口を出すのをやめてみよう」

衛は決意した。命に関わること以外は、あえて失敗させてみよう、と。親ではなく、ちょっと年上の友達くらいの距離感でいこうと自分に言い聞かせた。

チャンスはすぐに訪れた。

次の週末、陸が学校の工作で「割り箸で作る今治城」に挑戦していた。しかし、陸の接着剤の使い方は明らかに非効率で、今にも土台が自重で崩れそうなほどベタベタに塗っている。

(あ、アカン!それじゃ乾く前に崩れる!接着剤は点付けしろって言いたい!)

衛の喉まで出かかった正論を、ぐっと飲み込んだ。

「まあ、やってみな」

衛はあえてそのまま見守った。案の定、5分後に今治城の天守閣はズブズブと音を立てて横に傾き、無惨に崩壊した。陸の顔がみるみる歪み、泣きそうになる。

いつもならここで「ほら言ったでしょ、接着剤を塗りすぎるからだよ」とトドメを刺すところだ。だが、衛はそれを絶対に言わないと心に決めていた。その一言は、子どもの挑戦を殺す。

衛は陸の隣に座り、友達のような軽いトーンで言った。

「うわー、大変なことになったな。パパも昔、プラモデルで全く同じことやってドロドロにしたわ。絶望した記憶がある」

陸が驚いたように顔を上げた。いつも完璧に見えるパパが、自分と同じ失敗をしていたと知ったからだ。

衛は陸の目を見て、ただ一言だけ聞いた。

「で、次はどうする?」

陸は崩れた割り箸の山をじっと見つめ、鼻をすすりながら、少し考えてから言った。

「今度は、接着剤が乾くまで、1個ずつ指で押さえて作ってみる」

「お、いいじゃん。やってみな」

そこからの陸の集中力は凄まじかった。自分の頭で、どうすれば崩れないかを考え、試行錯誤しながら、少しずつ城を高くしていった。結局、その日は完成しなかったが、陸の目は、指示を待つ子のそれではなく、自分の足で歩き始めた人間の輝きを放っていた。

我慢

その日の夜、リビングでこずえが感心したように衛に言った。

「あなた、今日よく我慢したわね。いつもなら3秒で手を出してたのに」

「いやぁ、めちゃくちゃ耐えたよ。でもさ、失敗って自分で考えるスイッチなんだな。親の正論で麻酔をかけるより、ちょっと年上の友達くらいでいる方が、あいつにはちょうどいいみたいだ」

衛が笑って冷たいビールを煽ると、子供部屋から「パパ、明日も城作りの続き付き合ってよ!」と陸の明るい声が聞こえてきた。

答えはいつも、子ども自身の中にある。衛は新しく手に入れた見守るという心地よい距離感に、静かに胸を張るのだった。

距離感

あの今治城の割り箸崩壊事件から、早いもので9年の月日が流れていた。愛媛県今治市。二十歳を迎えた喜多村陸(20)の成人式当日、喜多村家は朝からバタバタの大騒ぎだった。

「陸!ネクタイがレジスタンスラインを越えて曲がっとるぞ!ほら、パパがやってやるからあ、いや、違うわ。もう二十歳や、自分でやってみな!」

「お父さん、もうその、やってみなはいいから、自分のスーツのボタンが掛け違えてるの直して」

妻のこずえ(46)にあきれ顔で突っ込まれ、喜多村衛(まもる:46)は苦笑いしながらネクタイを締め直した。小学校5年生の夏以来、衛は、ちょっと年上の友達の距離感を保ち続け、陸を信じて数々の失敗を見守ってきた。その結果、陸は驚くほど自分の頭で考え、行動する、頼もしい青年(ただし少しお調子者)に育っていた。

成人式

しかも、今日の成人式で、陸はなんと「新成人代表のスピーチ」を務めることになっていた。

「おい陸、緊張しとるか?パパなんて会社のスピーチを噛み倒して伝説になったことあるぞ」

「パパ、それ僕をリラックスさせるための失敗談?逆効果だから!」

陸は笑いながら、きりっとしたスーツ姿で家を出て行った。成人式の会場である公会堂。衛とこずえは、保護者席の後方からハラハラしながらステージを見つめていた。周囲には、小学校の時の熱血教師・木原先生の姿もある。やがて、司会のアナウンスが流れた。「続きまして、新成人代表挨拶。喜多村陸さん」

大きな拍手の中、陸がマイクの前に立った。衛の心臓は、自分の株の暴落時(デッドクロス)よりも激しくバクバクと脈打っていた。陸はマイクの位置を調整すると、ゆっくりと会場の仲間たち、そして今治の大人たちを見渡した。

「皆さん、本日はありがとうございます。突然ですが、僕が小学校の時の話をさせてください」

陸の声は、驚くほど堂々としていた。

「僕は子供の頃、この今治の街で暮らしていて、それが世界の普通だと思っていました。近くの山を見上げると、木の一枚一枚の葉っぱの形がハッキリと数えられるくらい、すぐそこに山が迫って見える。それが、地球上のどこに行っても同じ景色なんだと本気で信じていたんです」

会場から、小さくクスクスと笑い声が漏れる。衛も「そういえばそんなこと言ってたな」と昔を思い出した。

「でも、高校の行事で神戸に行ったとき、気がつきました。あれ?山はあるけど、葉っぱの形なんか全然見えないぞって。さらに大学で東京へ行ったときには驚きました。どこを向いても、そもそも山すらなかったんです(笑)」

会場は大きな笑いに包まれた。陸は笑顔を絶やさず、言葉を続けた。

「そのとき、初めて知りました。葉っぱの形が見えるくらい近くに、いつも温かく僕たちを囲んでくれている山があること。しまなみ海道の潮風がすぐそばにあること。それが、どれだけ特別で、贅沢な環境だったのかを。僕たちは、この大自然と、そしてここで僕たちを『まあ、やってみな』と失敗させながら、自由に育ててくれた最高の大人たちに守られて、今日こうして二十歳を迎えることができました」

陸がステージから、後方の保護者席にいる衛とこずえに向けて、いたずらっぽくウインクをした。

「東京や大阪、どこに行っても、僕たちの心の中には、あの緑の葉っぱが数えられる今治の山があります。この郷土への愛と誇りを胸に、僕たちは自分の頭で考え、失敗を恐れず、これからの未来を歩んでいきます!」

スピーチが終わった瞬間、会場からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。木原先生は「喜多村さん、素晴らしい息子さんだ!」と涙ぐんで衛の肩を叩いている。保護者席の衛はというと、もうハンカチが雑巾のように絞れるくらい、涙と鼻水でボロボロになっていた。

「こずえ。あいつ、僕の、やってみな、をスピーチに入れやがった。カッコいいじゃんか」
「お父さん、泣きすぎて顔がレジサポ転換して崩壊してるわよ。ほら、ちゃんと拍手してあげて」

参考:レジサポ崩壊とは、FXや株式投資などのテクニカル分析において、何度も価格を支えていたサポートライン(支持線)、または上値を押さえていたレジスタンスライン(抵抗線)が、強力な売買の圧力によって突き抜けられ、価格の勢いが急加速する現象を指します。

こずえも目を潤ませながら、嬉しそうに拍手を送っていた。式典の後のロビー。大勢の友人に囲まれて笑っている陸の元へ、衛とこずえが歩み寄った。

「陸、最高のプロポーズじゃなくて、最高のスピーチだったぞ!」
「パパ、主旨が変わってるから。でも、ありがとう。失敗談をいっぱい話してくれたパパがいたから、僕、間違えるのを怖がらずに言葉を選べたんだ」

陸は照れくさそうに頭をかいた。

今治焼き鳥

衛は二十歳になった息子の肩を、ガシッと力強く叩いた。

「よし!じゃあ今夜は成人のお祝いだ。パパが高い焼き鳥を奢ってやる!
あ、でも陸、お前ももう大人なんだから、自分の財布の管理は、自分で考えてしっかりやるんだぞ?」

「分かってるって。じゃあ、パパ、遠慮なく一番高いコース頼むから、支払いのサポートラインだけは死守してよね!」

「おい、そこは自分で払え!」と衛が突っ込み、家族3人でずっこけた。

正しい答えを教え込むよりも、たくさんの失敗を笑い飛ばしてきた喜多村家。しまなみ海道の風に乗って、陸のこれからの人生は、さらに自由で、誰も予想できない素敵な軌跡を描いていくに違いない。衛は、自分より少しだけ背の高くなった最高の友達の横顔を見ながら、静かにそう確信するのだった。

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